週刊あの馬は今!?


第14回:エイシンワシントン
■牡 1991/05/05生れ
■血統
父オジジアン
母Shamaritan(Sham)

■戦績
93年11月:中京/新馬戦:1着
93年12月:中山/朝日杯3歳S:6着
94年1月:阪神/若菜賞:2着
94年1月:阪神/こぶし賞:2着
94年2月:小倉/萌黄賞:1着
94年2月:中京/アーリントンC:2着
94年9月:中京/朝日CC:5着
94年10月:中京/セントウルS:1着
94年10月:中京/スワンS:3着
94年11月:中京/シリウスS:1着
94年12月:中山/スプリンターズS:4着
95年1月:京都/洛陽S:1着
95年2月:京都/淀短距離S:1着
95年10月:京都/セントウルS:5着
95年10月;京都/オパールS:5着
95年10月:京都/スワンS:8着
95年11月:京都/マイルCS:10着
95年12月:中山/スプリンターズS:9着
96年3月:阪神/マイラーズC:3着
96年3月:阪神/陽春S:1着
96年4月:京都/シルクロードS:12着
96年6月:阪神/阪急杯:14着
96年11月:京都/マイルCS:3着
96年11月:中京/CBC賞:1着
96年12月:中山/スプリンターズS:2着

通算:25戦8勝(重賞2勝)
※馬齢は当時の表記です。

スピードを売りにした○外としてスプリント路線で活躍。
デビューは93年11月の中京戦。芝1200mをレコードタイムで快勝。
次走はG1・朝日杯FSに出走。2戦目ながら初戦の内容を評価され、2番人気に支持される。しかしレースでは後の三冠馬ナリタブライアンの6着に敗退。

年を明けて自己条件に出走するも、1400m、1600m戦でともに僅差の2着。スプリント戦に戻った萌黄賞では後続に10馬身の差をつける圧勝でスプリンターとしての資質を見せた。
その後、G3・アーリントンCで重賞制覇に挑むも、メルシーステージの2着に敗退。さらに骨折も判明し、休養に入る。

骨折の程度は重くなく、同年秋に復帰。朝日CCでは距離2000mも影響してか5着に敗れるも、得意の1200m戦に戻った復帰2戦目のセントウルSではダンシングサーパスに1.3/4馬身差をつけ重賞初制覇を飾る。

重賞連勝を狙ったスワンSだったが、サクラバクシンオー、ノースフライトと2頭のG1馬の前に3着に敗れる。それでも、ニホンピロプリンス、ビコーペガサスらには先着。
スワンSの内容が高く評価され、シリウスSでは単勝1.0倍の人気に支持される。レースはハナを奪うと2着ビッグショウリに6馬身もの差をつけ圧勝した。
次走のスプリンターズSでG1制覇を狙ったが、スプリント王・サクラバクシンオーの前に4着に敗れた。

年が明けて95年はオープン特別の洛陽S、淀短距離Sを連勝。淀短距離Sでは斤量58.5キロを背負いながらレコードタイムでの勝利だった。
しかし、このレース後にまたも骨折が判明。休養に入る。

10月のセントウルSで復帰。1番人気に推されるも5着。続くオパールSも1番人気5着。その後はスワンS8着、マイルCS10着、スプリンターズS9着と休養前のスピードが戻ることなく、その年を終える。

翌96年はマイラーズCで復帰。6番人気ながら3着に好走すると、次走のオープン特別・陽春Sで久々の勝利を挙げる。
ここから復活を期待されたが、シルクロードSで12着に敗退。この年、G1に昇格した高松宮杯を予定するもフレグモーネで回避。阪急杯では14着に敗れた。

その後休養に入り、マイルCSで復帰。大敗続きが影響し、15番人気と低評価。しかしレースでは評価を覆す走りで、ハナを奪うと、勝ったジェニュイン、2着ショウリノメガミから1/2+クビ差の3着に粘った。

連闘で挑んだCBC賞では3番人気に推される。その年の高松宮杯を制したフラワーパークを3/4馬身差抑える逃げ切り勝ちを収め、悲願のG1制覇に王手をかけた。

スプリンターズSでは一叩きされたフラワーパークが1番人気。エイシンワシントンは3番人気だった。ここでも先手を取ると、軽快なリズムで飛ばす。直線も脚色は衰えることなく最後の坂を駆け上がるが、好位から差を詰めた田原騎乗のフラワーパークが並びかけてゴール。写真判定に持ち込まれるが、なかなか結果が出ない。長時間の判定の結果、わずか1cm差の2着に敗れた。

翌年こそG1制覇を、と現役続行の予定だったが、調教中にまたも骨折を発症。重度のものであり、蹄葉炎の発症も危惧されるほどで、競走能力を喪失。現役を引退し、種牡馬入りが決定された。

■引退後
引退後はレックススタッドで種牡馬入り。種付け数はそれほど恵まれず、栄進牧場の生産馬が多かった。目立った活躍馬は送り出せていないが、デビュー2連勝でフェニックス賞を勝ち、フィリーズレビューでも3着に入ったエイシンアモーレ、小倉2歳S3着、福島民友C1着などのエイシンヘーベを出した。
09年は3頭と種付けを行い、種牡馬を引退。鹿児島県のホーストラストにて功労馬として余生を送っている。