週刊あの馬は今!?


第24回:ハットトリック
■牝 2001/04/26生れ
■血統
父サンデーサイレンス
母トリッキーコード(LostCode)

■戦績
04年5月:東京/未勝利:1着
04年5月:東京/牡丹賞:1着
04年7月:福島/ラジオたんぱ賞:9着
04年10月:京都/ナリタブライアンM:1着
04年11月:京都/清水S:1着
05年1月:京都/金杯:1着
05年4月:阪神/マイラーズC:9着
05年6月:東京/安田記念:15着
05年10月:東京/毎日王冠:9着
05年10月:東京/天王賞秋:7着
05年11月:京都/マイルCS:1着
05年12月:香港/香港マイル:1着
06年:2月:中山/中山記念:11着
06年3月:ドバイ/ドバイデューティフリー:12着
06年6月:東京/安田記念:13着
06年6月:京都/宝塚記念:7着
06年10月:東京/毎日王冠:12着
06年10月:東京/天王賞秋:8着
06年11月:京都/マイルCS:8着
07年4月:阪神/マイラーズC:6着

通算21戦8勝(重賞4勝)
美浦の清水厩舎からデビュー。
デビューは遅く、3歳の5月になってからだった。柴田善騎手を鞍上に1番人気で出走。中団からレースを進めると2着馬に2馬身差をつけデビュー勝ち。
続く500万特別も勝ち、連勝。
重賞初挑戦となったラジオたんぱ賞では2番人気に支持される。
後方からレースを進めるが、そのまま伸びることなく勝ち馬ケイアイガードから0.8秒差の9着に大敗。

その後は角居厩舎に転厩。夏場は休養に充て、10月の1000万特別で復帰。鞍上に武豊騎手を向かえ出走。1番人気に支持されると、後方から上がり33.2秒の末脚を使いハナ差差し切り3勝目を挙げる。
さらに準オープンも連勝し、年明けには再び重賞に挑戦。
京都金杯を単勝1.6倍の1番人気で迎えると、いつものように後方からレースを進める。
直線では鋭く伸び、2着アルビレオ以下にクビ+クビ+ハナ差の接戦を制し、重賞初制覇を飾る。
さらに続く東京新聞杯でも後方から上がり32.9秒の末脚で差し切り。重賞2連勝とした。
G3を連勝して挑んだG2・マイラーズCでは展開も向かずいつもの末脚が影を潜め9着に敗退。
G1初挑戦となった安田記念では四位騎手に乗り替わり、8番人気と評価を落とす。
レースは終始後方のまま勝ったアサクサデンエンから1秒差の15着に大敗する。

秋には毎日王冠を使って天皇賞に挑戦するも、9着、7着と掲示板に載ることもなく敗退。
しかし、春に2勝を挙げている1600m戦に戻ったマイルCSではペリエ騎手を鞍上に先に抜け出したダイワメジャーをハナ差捕らえ差し切り勝ち。G1初制覇を遂げる。
その後は香港へ遠征。アサクサデンエンとともに香港マイルに出走し、2着ザデュークに1馬身1/4差をつけ1着となり、G1・2連勝を飾った。

05年はマイル重賞4勝を挙げ、JRA賞最優秀短距離馬を受賞した。

翌06年以降は苦戦が続く。
中山記念で始動するも12頭立て11着に敗退。
2度目の海外遠征となるドバイデューティフリーでも12着に完敗。
国内に戻り、ジョッキーは岩田騎手へとチェンジ。
安田記念13着、宝塚記念7着と見せ場なく敗退。
秋には毎日王冠12着、天皇賞8着。
連覇を狙ったマイルCSでも8着に破れ、1度も掲示板に上がることなく06年を終える。

翌07年にはマイラーズCに出走。得意の舞台だったが、6着に終わる。

その後、安田記念を目指し調整されていたが、米国・ウォルマックファームからの種牡馬入りのオファーもありそのまま引退、種牡馬入りした。

■引退後
08年から米・ケンタッキー州のウォルマックファームで種牡馬入り。オーストラリア・インディペンデントスタリオンズでもシャトル種牡馬として繋養されている。
初年度の種付け料は1万5000ドル(約136万円)。120頭に種付けを行い、SS系種牡馬として人気を集めた。
しかし、受胎率の低さもあり、2年目シーズンは種付け料1万2500ドル(約113万円)で種付け頭数も57頭へと半減。
さらに3年目シーズンには種付け料75万ドル(約68万円)で種付け頭数は32頭にまで減少した。
状況は厳しいが、産駒のデビューは来年で、出生した初年度産駒70頭の走りで逆境を覆すしかない。