週刊あの馬は今!?


第33回:マチカネキンノホシ
■牡 1996/04/02生れ
■血統
父SeattleSlew
母Alysbelle(Danzig)

■戦績
98年11月:東京/新馬戦:1着
98年11月:東京/500万下:4着
98年12月:中山/朝日杯FS:4着
98年12月:阪神/ラジオたんぱ杯3歳S:2着
99年4月:東京/NZT4歳S:8着
99年5月:東京/NHKマイルC:4着
99年7月:福島/ラジオたんぱ賞:9着
99年10月:東京/白秋S:4着
99年11月:東京/ノベンバーS:11着
99年12月:中山/アクアラインS:1着
00年1月:中山/AJCC:1着
00年5月:東京/目黒記念:2着
00年6月:阪神/宝塚記念:11着
00年10月:東京/毎日王冠:8着
00年11月:東京/アルゼンチン共和国杯:1着
00年11月;東京/JC:6着
00年12月:中山/有馬記念:12着
01年3月:中山/日経賞:2着
01年6月:東京/安田記念:17着
02年1月:東京/AJCC:5着
02年2月:京都/京都記念:2着
02年3月:阪神/大阪杯:6着
02年5月:東京/目黒記念:12着
02年6月;阪神/宝塚記念:5着
02年8月:札幌:札幌記念:16着

通算:25戦4勝(重賞2勝)

※馬齢は当時の表記です。

父は米3冠馬シアトルスルー、母はケンタッキーダービー、プリークネスSを制した名馬アリシバの全妹で、自身もアメリカの重賞を勝っている。
半妹のマチカネコウヨレはデビューできなかったが、産駒にエルムSを制したマチカネニホンバレを出している。

デビュー戦は岡部騎手を背に、東京芝1800m戦。単勝1.2倍の断然人気だった。
スタートは良くなかったものの、後方から上がり3F33.8秒の切れ味を見せ、快勝。2着馬に3馬身半の差をつけ、一躍注目の存在となった。

続く2戦目の500万条件も1.4倍の人気に推されるが、ダートが合わなかったのか4着に敗退。

3戦目の朝日杯3歳Sには3番人気で出走。後方から伸びはしたものの、アドマイヤコジーンから約4馬身差の4着に終わる。

続くラジオたんぱ杯3歳Sでは後のダービー馬アドマイヤベガと人気を分け合い、1/2馬身差の2着。

年が明けて4歳初戦はニュージーランドT。休み明けながら2番人気に支持される。1番人気エイシンキャメロンと並ぶように中団からレースを進めるも、直線弾けることなく、勝ったザカリヤから1.4秒差の8着に敗退。
続くNHKマイルCでは幾分行く気をみせたものの、シンボリインディの4着に終わる。

春シーズンは満足いく結果が得られず、夏場にラジオたんぱ賞を使われることになる。
ここでは相手が急に楽になったこともあり、1番人気に推されるが、勝馬シルクガーディアンから1.2秒差の9着に大敗。

その後休養を挟み、準オープンを2戦。いずれも1番人気に推されたが、4着、11着に敗退。
年末の準オープン・アクアラインSでようやく勝利を挙げるが、この年は結局この1勝のみで終わる。

年が明けて、古馬初戦のレースはAJCC。マイル~1800m戦を中心に使われてきたが、中距離戦へ路線変更。準オープンを勝ち上がったばかりだったが、3番人気に支持される。
中団からレースを進めると、久々に鋭い末脚を見せ、上がり34.0秒で差し切り勝ち。2着ステイゴールドに2馬身半差をつける快勝だった。

ようやく復調なった同馬に凱旋門賞挑戦プランも持ち上がったが、続く目黒記念を2着、宝塚記念では11着に大敗し、そのプランは断念された。

秋は始動戦の毎日王冠で8着に敗れるも、アルゼンチン共和国杯で2着メジロロンザンに半馬身差をつけ優勝。重賞2勝目を挙げた。

その後は、G1に挑戦するも、ジャパンカップ6着、有馬記念12着と掲示板に乗ることもなく、シーズンを終了する。

翌年は日経賞で始動。メイショウドトウを相手に1/2馬身差の接戦を演じた。

その後は、4歳時のNHKマイルC以来となるマイル戦・安田記念に出走するも17着に大敗。

そこから長期休養に入り、復帰戦は年が明けて2年前に重賞初制覇を飾ったAJCC。復活が期待され、2番人気だったが、フサイチランハートの5着に終わる。

続く京都記念では積極的な先行策でナリタトップロードとアタマ差2着の接戦を演じた。

しかし、その後は大阪杯6着、目黒記念12着、G1・宝塚記念でも5着に終わる。
それでも宝塚記念では勝ち馬のダンツフレームから0.3秒差まで迫っていた。
しかし、続く札幌記念で最下位16着に敗退すると、そのレースを最後に現役引退が決まった。

■引退後
引退後は世界的な良血を買われ、種牡馬入り。
03年から日高軽種馬農協門別種馬場で繋養されたが、1年目は14頭の種付け。以降も04年8頭、05年8頭と全体的に種付け頭数は少なく、苦戦。
初年度産駒は06年にデビューしたが、中央では3頭が出走し、未勝利。翌年も未勝利で、08年にシュヴァーベンが9戦目で勝ち上がりようやく産駒初勝利を挙げた。
地方ではキンノライチョウが南関東G3・平和賞を勝っていたが、そのほかに目立つ活躍はなかった。
その後、07年には需要の低下を理由に新生ファームへと移動している。