週刊あの馬は今!?


第37回:シンコウウインディ
■牡 1993/04/14生れ
■血統
父デゥラブ
母ローズコマンダー(ダストコマンダー)

■戦績
96年1月:東京/新馬戦:1着
96年3月:中京/ふきのとう特別:4着
96年4月:新潟/こけもも賞:2着
96年6月:東京/ほうせんか賞:4着
96年6月:中山/あさがお賞:1着
96年8月:中山/館山特別:2着
96年9月:中山/ユニコーンS:1着
96年11月:大井/スーパーダートダービー:2着
96年11月:盛岡/ダービーGP:3着
97年1月:京都/平安S:1着
97年2月:東京/フェブラリーS:1着
97年5月:京都/アンタレスS:5着
97年6月:大井/帝王賞:7着
99年6月:東京/安田記念:13着
99年7月:阪神/灘S:5着
99年8月:新潟/関越S:6着
99年9月:船橋/日本テレビ盃:4着

通算:17戦5勝(重賞3勝)

※馬齢は当時の表記です。

父は新種牡馬のデュラブで、94年の2歳セリ市で890万円で落札された。
デビュー戦は4歳になって1月の中山、ダート1200m戦。岡部騎手をせに3番人気の評価だったが、先行抜け出しで快勝。デビュー戦を勝利で飾った。

その後は芝の中距離戦を3戦使われる。
大負けこそしないものの4,2,4着と結果を出せず、再びダート戦へと戻る。2戦目は小林久晃騎手、3,4戦目は橋本広喜騎手が手綱を取ったが、5戦目のあさがお賞では、岡部騎手が新馬戦以来の騎乗。2番人気に支持されると、先行して抜け出し、2着ヘッドラインに3馬身半の差をつけ優勝。2勝目を挙げる。

その後夏場は一息入れられ、900万特別の館山Sに出走。好位から抜け出すも、横のダイワオーシャンに噛み付きにいく珍事が発生。クビ差の2着に敗退してしまう。

2着に敗れはしたものの、次走は重賞に初挑戦。4歳馬同士のダートG3・ユニコーンSに出走する。条件戦を2連勝していたバトルラインが圧倒的な人気を集めており、シンコウウインディは3番人気だった。
中団からレースを進め、直線伸びたが、1位入線したバトルラインからは大きく離されての2位入線だった。しかし、バトルラインが進路妨害のため、10着に降着したため、繰り上がっての1着で重賞初制覇を遂げる。

その後は大井のスーパーダートダービーに出走。逃げたサンライフテイオーにまたも噛み付きにいく癖を見せ、2着に敗退。
続く盛岡のダービーGPでは勝ったイシノサンデーから5馬身半の差をつけられ3着に終わる。

年が明け、古馬となっての緒戦は京都の平安S。噛み付きにいく癖など随所で若さを見せていたシンコウウインディはこのレースからブリンカーを着用することになる。
中団からレースを進め、直線追い込むと、先に抜け出したトーヨーシアトルに並びかけてゴール。写真判定の結果、1着同着となり、重賞2勝目を挙げた。
ユニコーンSでの繰り上がり1着、平安Sでの同着1着と、すっきりとしない結果となったが、次走のフェブラリーSでそのうっぷんを晴らすことになる。

中央のダート路線整備が進み、この年からG1に昇格したフェブラリーSに岡部騎手騎乗で出走。前哨戦を制していたものの、6番人気と評価は高くなかった。
先行した人気のストーンステッパー、バトルラインを見る形で好位からレースを進めたシンコウウインディ。直線前を行くバトルラインを交わすと、ストーンステッパーとの一騎打ち。並んだところで噛み付きにいく癖を見せないか心配されたが、最後まで集中力が途切れることなく、ストーンステッパーをクビ差抑えて優勝。中央競馬ダートG1最初の覇者となった。

その後は休養に入り、5月のアンタレスSで復帰。1番人気に支持されるが、トップハンデもあり、直線伸びを欠き、エムアイブランの5着に敗れる。
続く帝王賞では勝ったコンサートボーイから2秒以上離された7着に終わる。

その後、放牧に出されると、脚部不安を発症。2年にも及ぶ長期の戦線離脱となる。
復帰戦は安田記念。しかし、2年ぶりのレースでしかも芝のマイルG1と、不利な条件が重なり、見せ場なく、13着に大敗する。
その後はダート戦を月1走のペースで使われるが、3戦して勝利なく、9月の日本テレビ盃4着を最後に現役引退が決まった。

■引退後
現役引退後は2000年からシンコウファームで種牡馬入り。しかし、翌年にオーナーが経営不振により全ての所有馬を手放し、JRAの馬主登録を抹消。ただでさえ厳しい環境の中、不運もあり、3年間で21頭の産駒を残しただけで06年に用途変更。日高町のダーレー・ジャパンで功労馬として繋養されている。
なお、産駒は中央で4頭、延べ24回出走したが、勝利を挙げることはできなかった。