週刊あの馬は今!?


第31回:ゼネラリスト
■牡 1993/03/25生れ
■血統
父デインヒル
母RuthlessRose(ConquistadorDielo)
叔父シャーディー(愛G1・2000ギニーなど)

■戦績
95年11月:京都/新馬戦:1着
95年11月:京都/白菊賞:4着
95年12月:中山/朝日杯FS:3着
96年1月:京都/シンザン記念:1着
96年2月:阪神/アーリントンC:7着
96年4月:東京/NZT4歳S:7着
96年5月:東京/NHKマイルC:3着
96年6月:東京/安田記念:14着
96年12月:阪神/六甲S:3着
97年4月:京都/オーストラリアT:1着
97年5月:中京/金鯱賞:1着
97年6月:阪神/鳴尾記念:7着
97年7月:阪神/宝塚記念:6着
97年10月:京都/京都大賞典:10着

通算:14戦4勝(重賞2勝)

※馬齢は当時の表記です。

父デインヒルは欧州、豪州で活躍する大種牡馬。日本では96年の1シーズン供用され、アタラクシアなどを輩出した。
母の兄にアイリッシュ2000ギニー、セントジェームズパレスSなどを制し、欧州3歳マイル王となったシャーディーがいる血統。

デビューは95年11月。良血外国馬で、仕上がりの早さもあって、単勝1.4倍と断然人気を集めた。
好位追走から直線あっさりと抜け出すと、2着カネトシシェーバーに1.1/4馬身差をつけデビュー勝ちを果たす。

2戦目の白菊賞ではエイシンガイモンの2着に入るも、走行妨害のため4着に降着。騎乗した松永幹夫騎手はその年のWSJSへの出場が決まっていたが、この降着により、騎乗停止処分を受け、出場不可能になってしまった。

3戦目は1勝馬ながらG1・朝日杯FSに挑戦し、バブルガムフェローの3着だった。

仕切り直しの一戦は年明けのシンザン記念。ダート2連勝中のストーンステッパー、デイリー杯3歳Sを勝っていたロゼカラーらが強敵。ゼネラリストは好位からレースを進めると、直線抜け出し、2着ロゼカラーに1馬身半差をつけ重賞初勝利を飾った。

重賞2連勝を狙ったアーリントンCでは単勝1.4倍の1番人気に支持されたがスタートで後手を踏む。普段よりも後ろからの競馬に対応できず、勝ったスギノハヤカゼから1.2秒差の7着に敗退。

当時外国産馬はクラシックへの出場ができなかったため、春の目標はNHKマイルCへと定められた。調教中に主戦の松永幹夫騎手が同馬に蹴られ、大怪我をするアクシデントに見舞われたのもこの時期である。
ステップレースのニュージーランドT4歳Sは横山騎手が騎乗し、3番人気。ファビラスラフインがハイペースで飛ばす展開を中団やや後方からレースを進めたが、重馬場に脚をとられ7着に敗れる。

本番のNHKマイルCではロバーツ騎手が騎乗し、7番人気まで評価が落ちていた。
ここ数戦はスタートがもう一つだったが、このレースでは好スタートを切ると、先団に取り付く。バンブーピノがオーバーペースで逃げる中、先行馬としては最先着となる3着に入った。勝ったタイキフォーチュンは1.32.6というレコードタイムでの優勝だった。

その後、4歳馬としてはただ1頭、古馬相手の安田記念に出走するも14着に大敗。

その後は脚元の弱さもあり、休養。
復帰は暮れのOP特別・六甲S。約6ヶ月の休み明けだったが、勝ち馬のセイントリファールから0.5秒差の3着に好走。

しかし、その後も脚元の関係で順調にレースを使えず、次走は翌年4月のオーストラリアTとなった。
久しぶりに松永幹夫騎手とのコンビ復活となってのレース。
4ヶ月ぶりの実戦だったが、テイエムジャンボの作ったハイペースを好位からあっさりと抜け出すと、芝2000mを1.57.5のレコードタイムで快勝した。
このタイムは現在でも京都芝2000mのレコードタイムである。

復活なったゼネラリスト。続く金鯱賞も好位から抜け出す競馬で2着メイショウヨシイエに1.1/4馬身差をつけ優勝。重賞2勝目を飾る。

芝の2000mを連勝し、宝塚記念を目標に、前哨戦の鳴尾記念に出走。
1番人気に推されるも後方から伸びあぐね、バブルガムフェローの7着に敗退。

続く宝塚記念も、マーベラスサンデーの6着に敗れる。

春はG1に手が届かなかった同馬だったが、秋はジャパンカップを目標に京都大賞典で始動。
3番人気で出走するも最下位10着に敗退。
その後左前繋靱帯不全断裂を発症し、現役引退が決まる。

結局G1制覇はならなかったが、そのスピードは紛れもなく一級品だった。

■引退後
引退後は、ノースヒルズマネジメントで種牡馬入り。デインヒルの後継種牡馬として期待された。
中小牧場からそこそこ人気を集めたが、産駒の成績は思わしくなかった。
初年度産駒は2001年にデビューしたが、その年の勝ち上がりはゼロ。初勝利は翌年の6月だった。
その後も目立った活躍馬は出なかったが、2006年に地方で、大井の重賞、TCKディスタフ、トゥインクルレディー賞を勝ったアウスレーゼを輩出した。
しかし、2005年1月に種牡馬登録を抹消されており、時既に遅し。
現在は北海道恵庭市のすずらん乗馬クラブで繋養されている。