週刊あの馬は今!?


第115回アドマイヤマックス
■牡 1999/4/10生れ
■血統
父サンデーサイレンス
母ダイナシュート(ノーザンテースト)
橋田満厩舎

■戦績
01年10月:新馬戦/福永/1着
01年11月:東京スポーツ杯2歳S/福永/1着
01年12月:ラジオたんぱ杯2歳S/福永/3着
02年9月:セントライト記念/後藤/2着
02年10月:菊花賞/後藤/11着
02年11月:京阪杯/後藤/3着
03年6月:安田記念/武豊/2着
03年8月:関屋記念/後藤/3着
03年9月:セントウルS/福永/4着
03年10月:スプリンターズS/武豊/3着
03年12月:香港マイル/福永/4着
04年10月:ポートアイランドS/赤木/4着
04年10月:富士S/武豊/1着
04年11月:マイルCS/武幸四郎/6着
04年12月:CBC賞/武幸四郎/5着
05年1月:根岸S/武豊/14着
05年2月:阪急杯/福永/4着
05年3月:高松宮記念/武豊/1着
05年5月:京王杯SC/武豊/4着
05年6月:安田記念/武豊/12着
05年10月:スプリンターズS/武豊/3着
05年11月:マイルCS/武豊/6着
05年12月:香港スプリント/上村/11着

通算23戦4勝(重賞3勝)

母は七夕賞など重賞3勝のダイナシュート。
全姉ホーネットピアスは3勝馬だったが、3歳時には桜花賞で3着に入るなど活躍した。

デビューは2歳10月の京都芝1600m戦。福永騎手鞍上で3番人気だったが、中団から一気に末脚を伸ばし後続に4馬身差をつける圧勝でデビュー戦を飾った。

2戦目はG3東京スポーツ杯2歳Sへと進む。ローエングリンが1番人気でアドマイヤマックスは2番人気。中団後ろに位置取ると、直線一気に伸び、2着マチカネアカツキに2.1/2馬身差をつけ快勝。デビュー2連勝とした。

次走のラジオたんぱ杯2歳Sでは単勝1.4倍の圧倒的1番人気に支持された。後方追走から直線追い込んだが、勝ち馬メガスターダムに0.1秒差届かず3着に惜敗。3戦目で初黒星を喫した。

2歳シーズンを3戦2勝で終え、クラシックでの活躍が期待されたが故障のため春のクラシックを棒にふることになった。

復帰は秋のセントライト記念となった。長期休養明けとなったが単勝3.1倍の1番人気に支持された。中団に取りつくと、直線もよく伸びたが、先に抜け出したバランスオブゲームに1馬身半差及ばず2着。

その後は後から思えば距離が長かった菊花賞へ進む。父は大種牡馬サンデーサイレンスでもあり、2番人気に支持された。
しかし、レースはいいところなく、中団後ろで脚を溜めるも直線伸びを欠き11着に大敗した。

菊花賞で惨敗したアドマイヤマックスはその後マイル路線へと照準を切り替えた。
京阪杯(当時芝1800m)では単勝1.8倍の圧倒的1番人気に支持されたが、勝ち馬サイドワインダーから0.2秒差の3着に惜敗した。

その後休養に入り、古馬となっての初戦はG1・安田記念となった。
武豊騎手との新コンビだったが、休み明けということもあり6番人気と伏兵の評価だった。
好位に取りつき直線前を行くローエングリンを捕らえそのまま押し切るかに見えたが、ゴール前でアグネスデジタルに差し切りを許しクビ差の2着に惜敗した。

次走の関屋記念では単勝1.6倍の1番人気に推されたがオースミコスモの3着敗退。

3度目のG1挑戦となったスプリンターズSは後方から直線勝負にかけるもデュランダルの切れ味には敵わず0.2秒差の3着に敗れた。

その後は香港マイルに挑戦するも4着と、結局4歳シーズンは5戦すべてで掲示板を確保したが勝ち星を挙げることはできなかった。

翌5歳シーズンの春は休養し復帰は秋のOP特別・ポートアイランドS。このレースを1番人気4着で終えると、続く富士Sを中団から鋭い末脚で差し切り勝ち。東京スポーツ杯2歳S以来約3年ぶりの勝利を挙げた。

その後はマイルCS6着、CBC賞5着で5歳シーズンを終えた。

6歳となったアドマイヤマックスはダートに活路を求め根岸Sに出走。ダートは未知数だったが2番人気に支持された。しかし後方のままいいところなく14着に惨敗。その後は再び芝路線へと戻った。

高松宮記念を目標に阪急杯がステップに選択された。
後方から上がり3F33.8秒の末脚で追い込み勝ったキーンランドスワンから0.1秒差の4着とまずまずのレースを見せた。

続く高松宮記念は武豊騎手とのコンビで4番人気。
カルストンライトオが飛ばす展開を中団で脚を溜めると、直線豪快に伸び、2着キーンランドスワンに2馬身半差をつけ完勝。G1初制覇を果たした。

その後も続戦したが、京王杯SC4着、安田記念12着と不発に終わった。

秋はスプリンターズSで始動。春秋スプリントG1制覇がかかったが、香港のサイレンツウィットネスから0.3秒差の3着に敗れた。
マイルCSも6着に敗れ、暮れには2年ぶりの香港遠征。上村騎手とのコンビで香港スプリントに出走するも11着に大敗。
このレースを最後に現役引退が決まった。

■引退後
現役引退後は2006年からビッグレッドファームで種牡馬入り。
初年度は84頭への種付けを行った。
ステイゴールドと2年ごとに繋養場所が交換され、翌2007年9月にブリーダーズスタリオンステーションへ移動。
08年、09年のブリーダーズスタリオンステーションでは2年間で162頭に種付けを行った。

初年度産駒は2009年にデビュー。
コスモソルスティスが6月の新馬戦で1着となり、産駒の中央初勝利を挙げた。
その後、3年目の産駒モンストールが新潟2歳Sを勝ち産駒の重賞初制覇となった。

また、初年度産駒のアドマイヤコスモスが2010年12月から2011年11月にかけ7連勝で福島記念を勝つ活躍を見せた。
その後年明けの中山金杯も1番に気だったがレース中に右第3中手骨複骨折を発症し最下位で入線。
競走生活は絶たれたものの一命を取り留めアドマイヤマックスの後継として種牡馬入りする予定だったが、その後病状が悪化し、残念ながら予後不良の処置が取られた。

2012.11.13
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