週刊あの馬は今!?


第35回:アグネスゴールド
■牡 1998/04/10生れ
■血統
父サンデーサイレンス
母エリザベスローズ(ノーザンテースト)
全兄フサイチゼノン(弥生賞)
全弟リミットレスビッド(根岸S,ガーネットS等)

■戦績
00年12月:阪神/新馬:1着
01年1月:京都/若駒S:1着
01年2月:京都/きさらぎ賞:1着
01年3月:中山/スプリングS:1着
01年9月:阪神/神戸新聞杯:8着
01年10月:京都/菊花賞:8着
01年12月:阪神/鳴尾記念:3着

通算:7戦4勝(重賞2勝)

※馬齢は当時の表記です。

全兄フサイチゼノンは弥生賞勝ち、全弟リミットレスビッドはダートで長く活躍し、重賞8勝を挙げる活躍を見せた良血。

デビュー戦は12月の阪神マイル戦。河内騎手を背に、単勝2番人気で出走。後方からのレースとなったが、上がり33.9秒の末脚で直線一気の伸びを見せると、2着エアセンスに3/4馬身差をつけ差し切り勝ち。デビュー戦を勝利で飾った。

2戦目はオープン特別・若駒S。単勝2.0倍の1番人気に推されると、デビュー戦同様、後方から鋭い末脚で伸び、2着ダイイチダンヒルに1/2馬身差をつけ差し切った。

重賞初挑戦となったきさらぎ賞ではオープン特別2連勝中のダンツフレーム、デビュー3連勝中のシャワーパーティーらを抑えて1番人気。いつものように後方からレースを進めると、上がり34.4秒の末脚でまとめて差し切った。
無傷の3連勝できさらぎ賞を制したことで、同じ馬主で暮れのラジオたんぱ杯3歳Sを制したアグネスタキオンと共にクラシック有力候補となった。

ともに河内騎手が主戦でもあったが、アグネスゴールドはスプリングS、アグネスタキオンは弥生賞をステップに皐月賞を目指すことになった。

そのスプリングSでは笠松所属でデビュー6連勝中だったフジノテンビー、同じサンデーサイレンス産駒のミレニアムバイオらが相手だったが、単勝1.4倍の断然人気に支持された。中団からレースを進めると、直線力強く伸び、2着シンコウカリドに1/2馬身差をつけ1着。無傷の4連勝とした。

一方のアグネスタキオンも始動戦の弥生賞を不良馬場をものともせず5馬身差の圧勝劇を飾っていた。
河内騎手に本番・皐月賞での選択を迫らせることになったが、その後、アグネスゴールドに骨折が判明。クラシック目前で無念のリタイアとなった。
アグネスタキオンはその後、皐月賞をも制したが、レース後に屈腱炎を発症。ダービー前にこちらもリタイアとなった。

アグネスゴールドの復帰は半年後の神戸新聞杯となった。
エアエミネム、クロフネ、ダンツフレームらの重賞勝馬が出走。未知の力を買われ、4番人気に推されるも、後方のまま8着に終わる。

一叩きされ、春は出走が敵わなかったクラシック最後の一冠、菊花賞へ駒を進めた。5番人気ながら本質的な距離適性もあったのか、いいところなく、マンハッタンカフェの8着に敗れた。

徐々に調子を上げ、暮れの鳴尾記念では2番人気で出走。好位を追走するこれまでと違ったレースとなったが、勝ったメイショウオウドウからクビ+アタマ差の3着に好走。復活の兆しが見えた。

その後、京都金杯を目指し、調整が進められていたが、飛節に腫れが見られたため回避し、放牧に出された。

春は休養に充てられ、夏の札幌記念での復帰を目指したが、調教中に屈腱炎を発症。そのまま現役引退が決まった。

■引退後
G1勝ちはならなかったものの、引退後は良血を買われ04年からレックススタッドで種牡馬入り。
初年度は62頭、翌年は35頭の種付けを行った。
初年度産駒からカシノリボンが2勝を挙げ、地方では兵庫ダービーをバンバンバンクが制したが、その他に目立った活躍馬を出すことはできなかった。
また、2007年には米・フロリダ州のラムホールサウスへ、種付け料5000ドル(約60万円)で移籍。兄のフサイチゼノンも米国で種牡馬入りしており、兄弟揃って米国で繋養されている。