週刊あの馬は今!?


第46回:オースミタイクーン
■牡 1991/03/23生れ
■血統
父ラストタイクーン
母DoffTheDerby(MasterDerby)
半兄ジェネラス(英・愛ダービー、キングジョージ)
半妹イマジン(英オークス)

■戦績
94年1月:阪神/新馬戦:1着
94年1月:阪神/こぶし賞:3着
95年4月:京都/500万下:6着
95年7月:小倉/由布院特別:1着
95年9月:中山/印旛沼特別:1着
95年10月:京都/保津峡特別:5着
95年10月:東京/900万下:1着
95年11月:京都/東山特別:1着
95年12月:阪神/オークランドT:1着
96年1月:京都/洛陽S:2着
96年2月:東京/東京新聞杯:10着
96年3月:阪神/マイラーズC:6着
96年3月:韓国馬事会杯:1着
96年4月:京都/東風S:1着
96年5月:京都/京阪杯:10着
96年6月:東京/安田記念:11着
96年7月:阪神/宝塚記念:10着
97年3月:阪神/マイラーズC:1着
97年4月:中山/ダービー卿CT:4着
97年5月:東京/エプソムC:2着
97年7月:小倉/北九州記念:8着
97年9月:阪神/セントウルS:1着
97年10月:京都/スワンS:5着
97年11月:京都/マイルCS:10着
97年12月:中山/有馬記念:5着
98年2月:京都/京都記念:8着
98年3月:阪神/マイラーズC:2着
98年5月:東京/京王杯SC:2着
98年6月:東京/安田記念:14着
98年11月:京都/マイルCS:7着
98年12月:中山/有馬記念:16着

通算:31戦10勝(重賞2勝)

※馬齢は当時の表記です。

半兄に91年英・愛ダービー馬でキングジョージも制したジェネラス、半妹に01年愛1000ギニー、英オークス馬イマジンがいる良血馬。

兄が欧州で大活躍した血統背景もあり、デビュー前から評判になっていたオースミタイクーン。デビュー戦は年を明けて4歳の1月。武豊騎手を背に阪神芝1600m戦に出走。単勝1.3倍の圧倒的1番人気に支持されると、好位からあっさりと抜け出し、2着馬に6馬身差をつける圧勝劇で期待に違わぬパフォーマンスを見せた。

続くこぶし賞でも単勝1.5倍の圧倒的1番人気。しかし、好位からじりじりとしか伸びず、メルシーステージの逃げ切りを許し3着に敗退。
その後骨折が判明し、4歳シーズンを終えることに。

復帰は5歳の4月と、1年3ヶ月にも及ぶ長期休養となってしまった。
その復帰戦は安田康彦騎手が騎乗。長期休養明けながら単勝2.5倍の1番人気。しかし、ダート1200mと不得手な条件だったこともあり、6着に敗退。

復帰2戦目からは武豊騎手に手綱が戻り、500万特別・由布院特別を1番人気に応え快勝すると、降級となった次走の500万特別・印旛沼特別も連勝。

昇級戦の900万特別・保津峡特別で5着に敗退するも、続く900万条件、900万特別・東山特別、準オープン・オークランドTをいずれも後続に2馬身差以上をつける快勝で3連勝。とんとん拍子に勝ち上がり、オープン入りを果たした。

6歳となっての初戦はOP初挑戦となった洛陽S。河内騎手が騎乗し単勝1.5倍の1番人気に推されるも、先に抜け出したフジワンマンクロスを1馬身捕らえられず2着に終わる。

その後の2戦、東京新聞杯、マイラーズCでは道中の不利を受けるなど消化不良の競馬が続き10着、6着に敗退するも、OP昇格後4戦目となる韓国馬事会杯で1番人気に応え優勝。OP初勝利を飾った。
続く栗東Sも快勝し、OP特別2連勝。重賞初制覇への期待が高まった。

改めて重賞勝利に挑んだ京阪杯ではオークス馬ダンスパートナーに次ぐ2番人気で出走。中団からレースを進めたが、直線は伸びを欠き、10着に敗退。

その後はG1に挑戦。しかし、G1の舞台では力が足りず、安田記念11着、宝塚記念10着と2桁着順に終わる。

G1連戦後は疲れも見られ、放牧へ出される。休養が長引き、復帰は翌年7歳となった97年3月のマイラーズCになった。
8ヶ月ぶりの実戦に加え、重賞での実績も乏しかったこともあり、単勝52.2倍の11番人気の低評価だった。
しかしレースではその低評価をあざ笑うかのように、中団から末脚を伸ばし、差し切り勝ち。騎乗した武幸四郎騎手は前日にデビューしたばかりで、初勝利が重賞勝利という離れ業となった。
その後は引退まで武幸四郎騎手が手綱を取り続けたこともあり、オースミタイクーンと言えば武幸四郎という図式が出来上がった。

6歳時は重賞では苦戦を続けてきたが、マイラーズC優勝後はマイル前後の距離を使われ、ダービー卿CT4着、エプソムC2着と好走。北九州記念こそ8着に敗れるも、秋初戦となったセントウルSでは8番人気ながら中団から脚を伸ばすと、2着スギノハヤカゼに3/4馬身差をつけ優勝。重賞2勝目を挙げた。

その後はスワンS5着を挟み、再びG1に挑戦。マイルCSは8番人気で出走。道中置かれ気味で後方からレースを進めたが末脚不発で、勝ったタイキシャトルから1.7秒差をつけられ、10着に終わる。

次走は暮れのグランプリ有馬記念に参戦。一気の距離延長もあり、11番人気と人気はなかったが、後方から脚色よく追い込み5着に健闘した。

有馬記念での好走もあり、8歳となった翌年は2200mの京都記念で始動。しかし、前走ほどの脚は使えず、8着に敗退。

その後はマイル路線に戻る。
8歳馬ということもあり、人気はなかったが、マイラーズC、京王杯SCと2戦続けて2着に好走した。
その後はG1を3戦したが、いずれも力不足で安田記念14着、マイルCS7着、そして有馬記念ではレース中に屈腱炎を発症するアクシデントもあり、勝ったグラスワンダーから4秒以上離された最下位16着に敗退。
8歳馬ということもあり、そのまま現役引退が決定した。

■引退後
G1では通用しなかったオースミタイクーンだが、血統的魅力もあり、現役引退後は静内スタリオンステーションで種牡馬入り。
良血馬とはいえ、現役時の戦績がもう1つだったため、種付け頭数は集まらなかった。
少ない産駒で、目立った産駒を輩出することができず、オースミエルフが3勝を挙げた程度の成績だった。
その中でも注目を集めたのは、ハート馬トレジャースマイル。07年に水沢競馬で額にハートマークの入ったトレジャースマイルがデビューし、当時話題を集めた。この馬が活躍すれば父オースミタイクーンの知名度アップにも繋がるチャンスだったが、40戦して1勝を挙げたのみで期待に応えることはできなかった。その後も活躍馬を輩出することは出来ていない。