1997年フェブラリーSプレイバック

今週の重賞予想


  • ★フェブラリーSがG1に昇格されたのが1997年。1着賞金8,000万円と当時のダート競走としてはかなりの高額だった。

    この年は大雨の影響で泥んこの不良馬場で行われた。
    準オープン、オープン特別、根岸S(G3)、ガーネットS(G3)と4連勝中だったストーンステッパーが1番人気。ケンタッキーダービー馬の弟バトルラインが2番人気、900万下、ウインターS(G3)、平安S(G3)と3連勝中だったトーヨーシアトルが3番人気で続いた。
    ダート路線は丸外が大勢を占めていた。ストーンステッパーの父はCraftyProspector、バトルラインの父はオジジアン、トーヨーシアトルの父はDeputyMinisterと今見ても素晴らしいと思える血統だった。

    不良馬場で行われたレースは1000M通過59.5秒で先行したバトルライン、ストーンステッパーが競り合うように抜け出した。残り100Mでストーンステッパーがバトルラインを競り落としたが、最内をついて伸びてきたのが岡部騎手騎乗の6番人気シンコウウインディだった。2頭のデッドヒートとなったが、最後クビ差前に出ていたのは伏兵シンコウウインディのほうだった。

    シンコウウインディは4歳時(現3歳)にユニコーンSを制し、前送平安Sはシンコウウインディと同着1着だった。隣の馬に嚙みつきにいくことがあるなど癖の強い馬だった。フェブラリーS後は勝利を挙げることはなかったが、渾身の走りで初代フェブラリーSチャンピオンに輝いたのだった。

今週のマル秘予想