■牡 1993/04/11生れ
■血統
父サンデーサイレンス
母バブルカンパニー(Lyphard)
半兄に仏2000ギニー2着で種牡馬としてドバイワールドカップを制したインヴァソールを輩出したキャンディストライプスがいる。姉のバブルウロスペクターは菊花賞馬ザッツザプレンティをはじめ、マニックサンデー、ウインシュナイトなどの活躍馬を輩出するなど、近親にも活躍馬は多い。
■戦績
95年10月:東京/新馬戦:3着
95年10月:東京/新馬戦:1着
95年11月:東京/府中3歳S:1着
95年12月:中山/朝日杯3歳S:1着
96年3月:中山/スプリングS:1着
95年10月:東京/毎日王冠:3着
96年10月:東京/天皇賞・秋:1着
96年11月:東京/JC:13着
97年6月:阪神/鳴尾記念:1着
97年7月:阪神/宝塚記念:2着
97年10月:東京/毎日王冠:1着
97年10月:東京/天皇賞・秋:2着
97年11月:東京/JC:3着
通算:13戦7勝(重賞5勝)
※馬齢は当時の表記です。
サンデーサイレンス産駒の2世代目産駒となる同馬は95年10月に美浦・藤沢和厩舎からデビューした。
岡部騎手を背に出走。単勝1.3倍の圧倒的人気を集めるもアービルサンゴッドをクビ+クビ差捕らえ切れず3着に敗れてしまう。
しかし、その3着も負けて強しの内容であり、折り返しの新馬戦ではさらに人気を集め、単勝1.2倍に支持された。先手を取ってレースを引っ張ると、そのまま2着に1馬身差をつけ1着。2戦目で勝ち上がった。
次走はオープン特別の府中3歳Sへ。同じく2戦目で勝ち上がったサクラスピードオーが1番人気で、バブルガムフェローは2番人気。
人気の2頭が2,3番手を並んで追走するが、ゴール前ではバブルガムフェローが1馬身抜けていた。
続いて挑んだのはG1・朝日杯3歳Sで、バブルガムフェローは1番人気に支持された。500万特別を勝ち上がり、武豊騎手騎乗のエイシンガイモンが2番人気、重賞で2着、3着と好走して出走したスキーミュージックが3番人気で続いた。すっとゲートを出ると、前走同様、好位を追走。直線では余裕を持って抜け出し、2着エイシンガイモンに3/4馬身差をつけ優勝。3連勝でのG1制覇を飾った。
95年は文句なく、JRA賞最優秀3歳牡馬に選出された。
また、ラジオたんぱ杯3歳Sで1,2,3着したロイヤルタッチ、イシノサンデー、ダンスインザダークと並び、SS産駒4強の1角を占めたが、その筆頭角との呼び声も高かった。
春はスプリングSで始動。単勝1.5倍の断然人気に推された。レースはこれまでよりもやや後方からとなったが、直線余裕の手応えで脚を伸ばすと、2着チアズサイレンスに1/2馬身差をつけ優勝。クラシック制覇へ向けて上々のスタートを切った。
しかし、レース後に骨折が判明。無念のリタイアとなる。
怪我で春シーズンを棒に振ったバブルガムフェローは、秋シーズン、同期相手の菊花賞ではなく、古馬との対戦を選択される。
当時としては4歳馬の天皇賞路線はまだ珍しい選択肢だった。
復帰戦は毎日王冠。骨折明けではあったが、過去の実績から2番人気に支持される。しかし、さすがに骨折明けのハンデは重く、ややもたついての3着に敗れる。
次走の本番、天皇賞・秋は、歴戦の古馬、サクラローレル、マーベラスサンデー、マヤノトップガンと並び、4強を形成。
米遠征中の岡部騎手に替わり、鞍上は当時まだG1勝利のなかった蛯名騎手だった。道中3,4番手を追走する積極的なレース展開で直線抜け出すと、内で包まれる1番人気サクラローレルを尻目に一気に突き抜ける。追い迫るマヤノトップガンも1/2馬身差抑えると、4歳馬としては史上初めてとなる同レース制覇を飾った。
次走は世界の強豪を迎え撃つジャパンカップ。天皇賞・秋で上位を占めたマヤノトップガン、サクラローレル、マーベラスサンデーが相次いで回避する中、4歳馬のバブルガムフェローには日本代表としての期待がかかった。
凱旋門賞馬エリシオをはじめ、ペンタイア、シングスピールなどの超強豪が揃った同年のJCで2番人気に推される。しかし、前走とは打って変わり、走る気をまったく出さず、シングスピールの13着に大敗。不可解な敗戦に陣営も首をかしげる1戦となった。
その後、休養に入り、翌年は宝塚記念を目標に、鳴尾記念で復帰。
ゼネラリストに人気は譲ったが、積極的なレース運びから2着トウカイタローに2馬身の差をつけ完勝した。
しかし、馬体重はJCと比較し、-14kgと大幅減と、次走へ向けてやや不安も残した。
宝塚記念では岡部騎手がタイキブリザードに騎乗したため、蛯名騎手が天皇賞以来の騎乗。そして、このレースでも馬体重をさらに6kg減らし468kgと、デビュー以来最低の馬体重となった。
それでも、G1初制覇となったマーベラスサンデーにクビ差及ばなかったものの、2着に入り、地力の高さは示した。
夏場は休養に充て、秋は天皇賞連覇を目標に、毎日王冠で始動。
毎日王冠を順当に勝利して、挑んだ天皇賞・秋。
前年4強を形成した残りの3頭は、サクラローレル、マヤノトップガンが怪我で引退、マーベラスサンデーが骨折休養中ということもあり、この年はバブルガムフェロー断然のムードだった。
いつものように好位からレースを進め直線抜け出しにかかるが、2番人気だった牝馬・エアグルーヴをなかなか交わせない。結局長い叩き合いの末、クビ差及ばず2着に敗れ、天皇賞・秋連覇はならなかった。
次走のジャパンカップは前年ほど外国馬が強力ではなかったが、その中でも凱旋門賞2年連続2着、BCターフ、愛チャンピオンSなどを勝っていたシングスピールが強敵と見られていた。
前走で敗れたエアグルーヴと並ぶ形でレースを進める。ピルサドスキーはそのやや後方を追走。先に抜け出したエアグルーヴが追い迫るピルサドスキーと熾烈な叩き合いを繰り広げるが、バブルガムフェローはそこから少し離れた3番手から上がれない。
結局勝ったピルサドスキーかクビ+1.1/4馬身差の3着でレースを終える。
レースを振り返ってみると、2400mの距離自体がやや長かった可能性もある。
そして、このレースを最後に現役を引退。種牡馬入りすることになる。
■引退後
引退後は社台スタリオンステーションで種牡馬入り。
産駒は中距離でのダートで活躍する馬が多い。
これといって目立った産駒は輩出できていないが、コンスタントに勝ち上がる馬を出した。初期にはアッパレアッパレが交流重賞・名古屋グランプリを制した。
99年、00年にはオーストラリアにシャトル種牡馬として供用。01年には209頭に種付けと人気を集めた。
しかし、なかなか大きいレースを勝つ産駒は現れず、芝の重賞レースを制したのは、09年京成杯のアーリーロブストのみとなっている。
10年には種付け料も50万円に。
そして、2010年4月26日。繋養先の牧場で肺炎のため死亡した。その年も種付けを行っていたが、3月から続いた熱発の影響で中止。治療にあたったが、回復することはなかった。
17歳だった。
バブルガムフェローの後を継ぐ種牡馬も少なく、国内で種牡馬となったのは地方馬のマジェスティック1頭。ただそれもほとんど産駒がいない状況となっている。