週刊あの馬は今!?


第30回:ベストタイアップ
■牡 1992/03/29生れ
■血統
父アンバーシャダイ
母ミスタイモア(Sham)
半兄ノーモアスピーディ(90年京成杯)

■戦績
94年10月:東京/新馬戦:3着
94年10月:東京/新馬戦:1着
95年2月:中山/500万下:2着
95年3月:中山/スプリングS:13着
95年10月:東京/500万下:1着
95年10月:東京/紅葉特別:1着
95年11月:東京/ウェルカムS:1着
96年1月:東京/中山金杯:1着
96年3月:中山/日経賞:4着
96年4月:京都/天皇賞・春:13着
96年10月:東京/毎日王冠:5着
96年10月:東京/天皇賞・秋:6着
96年11月:東京/キャピタルS:2着
97年1月:中山/中山金杯:1着
97年2月:東京/東京新聞杯:1着

通算:15戦7勝(重賞3勝)

※馬齢は当時の表記です。

デビューは3歳の秋、東京開催。田中勝騎手を背に2番人気で出走するが勝ったタイガーチャンプから約5馬身差をつけられ3着に敗れるが、折り返しの新馬戦で勝ち上がる。

3戦目は年を明けた2月の中山・自己条件戦。やや間隔が開いたこともあってかイブキニュースターの2着に終わる。
4戦目は横山騎手を新パートナーに迎え、スプリングSに出走。7番人気という低評価だった。好位を追走するも、直線失速し、勝ったナリタキングオーから3秒近く離され、13着に大敗。

ここで休養に入り、復帰は秋の東京開催となった。
これまでの好位からの競馬からスタイルを変え、後方からの先方にチェンジ。500万下平場を快勝すると、続く紅葉特別(900万下)、ウェルカムS(1500万下)と、条件戦を3連勝しオープン入りを果たす。
父アンバーシャダイ同様、遅咲きの血が開花した。

年を明けて1月の中山金杯で重賞に再チャレンジ。この年は東京開催ということも勢いに乗った同馬の追い風になっていた。長い直線をフルに使い、後方待機から上がり33.7秒の切れ味で2着ウインドフィールズ以下を完封。単勝2.4倍の1番人気に応え、4連勝での重賞初制覇となった。

マイル戦、2000m戦での連勝で、その後の進路が注目されたが、僚馬ジェニュインとの兼ね合いもあり、天皇賞路線が選択される。
ステップレースは日経賞。距離延長に加え、不良馬場も重なり、得意の切れ味が封じられ、重い馬場を得意とするホッカイルソーから0.4秒差の4着に終わる。

次走の天皇賞・春では、横山騎手がサクラローレルに騎乗するため、岡部騎手に乗り替わりとなった。
一気の距離延長に対応することができず、後方のまま13着に大敗する。

夏場は休養に入り、秋は毎日王冠で始動。デビュー3戦で手綱を取った田中勝騎手が騎乗。
後方待機からメンバー最速の上がり34.6秒を使うも、展開が向かず、勝ったアヌスミラビリスから0.4秒差の5着に敗退。
続く天皇賞・秋も6着に終わる。

ここで距離が短縮され、1400mのOP特別・キャピタルSに出走。適距離に戻り、単勝1.7倍の圧倒的1番人気に支持される。後方待機から上がり33.9秒と1頭だけ次元の違う末脚で追い込むも逃げたエイシンバーリンをクビ差捕らえることができず2着に敗れる。それでも復活の兆しは十分に見せた。

次走は昨年も制した中山金杯。鞍上は天皇賞・春以来となる岡部騎手。前年と舞台は異なったが、後方から鋭い切れ味で直線追い込むと、2着マウンテンストーンに1馬身半差をつけ差し切り勝ち。前年の金杯以来の勝利を挙げた。
続く東京新聞杯では単勝1.3倍の圧倒的人気に支持される。いつものように後方からレースを進めると、1頭だけ33秒台の上がりを使い、2着ユノペンタゴンに1馬身半差をつける完勝。

安田記念へ向け、注目が集まったが、その後脚部不安を発症。そのまま引退することが決まった。

■引退後
引退後は種牡馬入り。
能力はG1級と言われたが、実際G1の勲章もない同馬は種付け頭数にも恵まれなかった。
スパーキングレディー、エンプレス杯と地方重賞2勝を挙げたジーナフォンテンを輩出したものの、その他に目立った活躍馬を出せず、06年に種牡馬を引退した。
現在は、北海道野付郡・野付ライディングファームで繋養されている。