■牡 1997/3/24生れ
■血統
父フジキセキ
母スプリングネヴァー(サクラユタカオー)
橋口弘次郞厩舎
■戦績
99年11月:新馬戦/安藤勝/1着
99年11月:白菊賞/藤田/2着
99年12月:北九州3歳S/高橋亮/1着
00年1月:シンザン記念/高橋亮/1着
00年3月:スプリングS/高橋亮/1着
00年4月:皐月賞/高橋亮/2着
00年5月:ダービー/高橋亮/12着
00年10月:富士S/高橋亮/3着
00年11月:マイルCS/安藤勝/2着
00年12月:鳴尾記念/松永幹夫/1着
01年1月:京都金杯/松永幹夫/1着
01年2月:中山記念/松永幹夫/3着
01年10月:富士S/河内/2着
01年11月:マイルCS/河内/9着
01年12月:鳴尾記念/武豊/2着
02年1月:京都金杯/武豊/1着
02年4月:マイラーズC/松永幹夫/8着
02年5月:京王杯SC/松永幹夫/9着
02年6月:安田記念/松永幹夫/17着
通算19戦7勝(重賞5勝)
※馬齢は旧表記で統一します。
1つ下の半弟にステイヤーズS、阪神大賞典、万葉Sなどを勝ったステイヤー・ダイタクバートラムがいる。
デビューは99年11月。安藤勝騎手を背に京都芝1600m戦に1番人気で出走。先手を奪うとそのまま後続を寄せ付けず、2着に4馬身差をつけ圧勝した。このときの2着は後の3歳王者で香港G1を2勝するエイシンプレストンであった。
次走白菊賞は藤田騎手とのコンビでまたしても先手を奪う展開になったが、中団から伸びたロスマリヌスに交わされ1.3/4馬身差の2着に敗れた。ロスマリヌスもまた将来の活躍が期待されていたが怪我のため2戦2勝で引退となってしまった。
3戦目の北九州3歳S(OP・芝1800)からは高橋亮騎手とのコンビとなった。
これまでの2戦とはうってかわり中団待機。初めて差す競馬となったが、上がり3Fメンバー最速の34.9秒の末脚で伸びると、2着チタニックオーに1馬身差をつけ優勝。2勝目を挙げた。
次走は重賞初挑戦となったシンザン記念。単勝2.0倍の1番人気に推された。前走同様中団につけると、徐々に進出。直線力強く抜け出すと、2着に3馬身差をつける圧勝で重賞初制覇を飾った。
その後は皐月賞トライアル、スプリングSへ出走。中団から4角では2番手に進出。直線逃げたパープルエビスを捕らえると、そのまま3/4馬身差をつけ1着でゴール。1番人気に応え重賞2連勝としクラシックの主役に躍り出た。
迎えた皐月賞本番。弥生賞2着から参戦したエアシャカールと人気を分け合い1番人気ダイタクリーヴァで3.3倍、エアシャカールが3.4倍で続いた。
スタートで3番人気ラガーレグルスが立ち上がり競走を中止する波乱の展開。ダイタクリーヴァは好位に取りつくと終始インの経済コースを追走。一方のエアシャカールは後方3番手からとなった。
直線に向きダイタクリーヴァが手応えよく抜け出したところを外からまくってきたエアシャカールに図ったように差し切られクビ差の2着に惜敗した。
その後は距離適正を考慮しNHKマイルCに進むプランもあったがダービーへ出走。2番人気に支持されたがいいところなく12着に惨敗した。
夏場は休養し、秋はマイル路線へ。富士Sで始動し3着とまずまずのスタートを切った。
マイルCSでは高橋騎手が落馬負傷するアクシデントで安藤勝騎手に乗り替わり。古馬を押しのけ1番人気に支持された。
中団やや後方でレースを進め直線馬群を割って抜け出し、G1初制覇かと思われたが外から猛然と伸びてきたアグネスデジタルにゴール前1/2馬身差交わされ2着に敗れた。
次走の鳴尾記念では松永幹夫騎手に乗り替わり。中団から抜け出すとヤマニンリスペクトに1/2馬身差をつけ優勝。重賞3勝目を挙げた。
年が明けて古馬初戦は京都金杯。3番手追走から直線抜け出すと、2着エリモセントラルに2.1/2馬身差をつける圧勝でG3を連勝した。
次走の中山記念でも単勝1.7倍の圧倒的人気に支持された。
中団で脚を溜めたが直線はいつもの伸びがみられず勝ち馬アメリカンボスから1秒離された3着に終わった。
その後骨折が判明し休養に入る。
復帰戦は富士Sで、休み明けながら2番人気。中団やや後ろから直線鋭く伸びたが先に抜け出したクリスザブレイヴに2馬身及ばず2着となった。
前年同様のステップでマイルCSに駒を進めると単勝2.8倍の1番人気に支持された。スタートが合わず後方からのレースとなり直線それなりの脚は使ったが前との差を詰められずゼンノエルシドから0.5秒差の9着に敗れた。
その後は武豊騎手とのコンビで鳴尾記念に出走しメイショウオウドウのクビ差2着に惜敗。
次走の京都金杯は1番人気で出走。好位から直線抜け出すと2着ゴッドオブチャンスに1/2馬身差をつけ優勝。前年に続く連覇で重賞5勝目を挙げた。
その後は安田記念を目標にマイラーズCから京王杯SCへと進んだ。しかしいずれも2番人気に推されるも伸びを欠き8,9着と人気を裏切る結果となった。
春の目標・安田記念では8番人気と評価を落としての出走。復権をかけて出走したがまったくいいところなく17着に大敗した。
さらにレース後には屈腱炎が判明し現役終盤は不本意な結果を残し現役引退が決まった。
■引退後
引退後はフジキセキの後継として門別のブリーダーズスタリオンステーションで種牡馬入り。重賞勝ちしたサンデーサイレンスの孫としては最初の種牡馬入りとなった。
初年度産駒は2006年にデビュー。
同年9月、コアレスレーサーが未勝利を勝ち産駒の初勝利を挙げた。
重賞を勝つ馬はなかなか出なかったが、2010年のマーメイドSでブライティアパルスが優勝し、産駒の重賞初勝利となった。
その後はルールプロスパーが障害を含め8勝を挙げたが、他に目立った活躍馬は輩出できていない。
また、2007年からHBA門別種馬場へ移動したが、同種馬場の閉鎖により2011年から再びブリーダーズスタリオンステーションへ移動した。
ダイタクリーヴァのクラシックを主戦として騎乗した高橋亮騎手も調教師試験に合格し2012年2月で現役を引退している。
2013.1.2