週刊あの馬は今!?


第123回ダンディコマンド
■牡 1993/4/12生れ
■血統
父ニホンピロウイナー
母ダイナスワップス(ノーザンテースト)
佐々木一夫厩舎

■戦績
96年1月:新馬戦/幸/1着
96年2月:萌黄賞/幸/1着
96年3月:クロッカスS/村本/1着
96年3月:スプリングS/村本/4着
96年4月:皐月賞/村本/5着
96年12月:クリスマスS/的場/2着
97年7月:雲仙特別/武豊/1着
97年7月:北九州記念/武豊/1着
右 97年9月:京王杯AH/武豊/9着
98年7月:函館スプリントS/武豊/8着
98年9月:朝日CC/武豊/7着
99年6月:テレビ愛知OP/武豊/12着


通算12戦5勝(重賞1勝)

※馬齢は旧表記で統一します。

父は名スプリンター・ニホンピロウイナー。
デビュー戦は4歳1月の小倉で距離はもちろんスプリント戦。幸騎手鞍上で2番人気での出走。
好スタートから先手を奪うとそのまま楽々と逃げ切り勝ち。2着馬に7馬身差をつける楽勝であった。

初戦の圧勝もあり次走500万特別・萌黄賞では単勝2.1倍の1番人気に支持された。レース途中から先頭を奪うとそのまま後続を寄せ付けず2着オースミギャロップに9馬身差をつけ圧勝。初戦を上回るパフォーマンスで一気に短距離界で注目の存在となった。

3戦目となったOP特別クロッカスSでは距離が1600mに伸びたが1.9倍の圧倒的支持を集めた。
好位から早めに先頭に立つとそのままセーフティリードを保ち、2着ルグリエールに2馬身半差をつけ優勝。デビュー3連勝でOP入りを果たした。

その後はさらに距離を伸ばしスプリングSに出走。3歳王者バブルガムフェローの始動レースでダンディコマンドは2番人気での出走となった。
スタートがよくなくこれまでと違い中団からのレースとなった。4角では10番手まで下がったが直線なんとか盛り返す。それでも上位との差を埋められず勝ったバブルガムフェローから0.4秒差の4着に敗れた。

初黒星を喫したダンディコマンド。次走はG1・皐月賞となった。
ダンスインザダーク、バブルガムフェローの直線でのリタイアもあり人気が割れ、ダンディコマンドは6番人気だった。
サクラスピードオーが先手を取りダンディコマンドは2番手を追走。早めに先頭に並びかけ直線いったんは先頭へ。見せ場を作るも直線中程でイシノサンデー、ロイヤルタッチらに交わされ5着でゴールした。

2000mの皐月賞で十分に見せ場を作ったダンディコマンドだが、父がニホンピロウイナーということで距離への不安もありその後はダービーではなくNHKマイルCが目標とされた。
しかし、レース後に骨折が判明しリタイア。休養に入ることとなった。

8ヶ月の休みを経て復帰は12月のOP特別・クリスマスS。的場騎手とのコンビで2番人気。先行策から早め先頭に立ちタイキマーシャルのハナ差2着に好走。
今後の活躍が期待されたが、ここでまたしても骨折が判明。2度目の休養に入る。

復帰は翌年5歳の7月。900万条件に降級しており、武豊騎手との新コンビで雲仙特別に出走。休み明けながら単勝1.4倍の圧倒的1番人気だった。
先団から直線鋭く伸びると、2着モアコスモスに1.1/4馬身差をつけ1着でゴール。復帰初戦を制し、次走は連闘でG3・北九州記念(1800m)へ向かった。
ここも1番人気での出走となった。好スタートを切ると先頭へ。直線も後続との差を保ち、2着パルスビートに1.1/4馬身差をつけ1着でゴール。2連勝で重賞初制覇を飾った。
またこの勝利が武豊騎手のJRA重賞通算100勝のメモリアルレースともなった。

2度の骨折を経て重賞タイトルを手に入れたダンディコマンド。ここから中距離路線での活躍が期待されたが、その後は負けが続く。

京王杯AHでは単勝1.4倍の圧倒的1番人気に支持されるも9着に敗退。

さらにその後またしても骨折。長期休養に入り、6歳7月の函館スプリントSで復帰。
先行することができず8着に敗退すると、続く朝日CCでは先手を奪うも勝ち馬ランフォザドリームから1.3秒離された7着に惨敗した。

その後なんとまたしても骨折。7歳6月にOP特別・テレビ愛知OPで復帰するも勝ち馬アンブラスモアから1.1秒離された12着に惨敗。
結局このレースが中央最後のレースとなった。

その後、地方競馬へ移ったが、2年後の2001年10月に苫小牧特別に出走し7着に終わっている。

■引退後
度重なる怪我もあり重賞1勝を挙げるに留まったダンディコマンドだが、その非凡なスピード能力を買われ、引退後は種牡馬となった。

2002年に門別のトヨサトスタリオンセンターで種牡馬入りし、初年度は14頭への種付けを行った。
その後も10頭前後と少ないながらも種牡馬を続けた。
2010年にトヨサトスタリオンセンターの閉鎖が決まり、九州の本田牧場へ移動。種牡馬生活を続けていたが、2011年、種付け後に心臓発作を起こし死んだ。

代表産駒にはOP特別ひまわり賞を勝ち、桜花賞にも出走(11着)したミッキーコマンドがいるが、その他はダンディーサウンド、インタレスティングがそれぞれ1勝を挙げたのみで残念ながら活躍馬は出ていない。

2013.1.21
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