週刊あの馬は今!?


第100回:エアシャカール
■牡 1997/2/26生れ
■血統
父サンデーサイレンス
母アイドリームアドリーム(WellDecorated)
半姉エアデジャヴー(クイーンS)
森秀行厩舎

■戦績
99年10月:東京/新馬戦:5着
99年11月:京都/未勝利:1着
99年12月:阪神/500万下:2着
99年12月:中山/ホープフルS:1着
00年3月:中山/弥生賞:2着
00年4月:中山/皐月賞:1着
00年5月:東京/ダービー:2着
00年7月:英/キングジョージ:5着
00年9月:阪神/神戸新聞杯:3着
00年10月:京都/菊花賞:1着
00年11月:東京/ジャパンC:14着
01年4月:阪神/大阪杯:2着
01年4月:京都/天皇賞(春):8着
01年6月:阪神/宝塚記念:5着
02年3月:阪神/大阪杯:2着
02年5月:中京/金鯱賞:2着
02年6月:阪神/宝塚記念:4着
02年10月:中山/天皇賞(秋):4着
02年11月:中山/ジャパンC:12着
02年12月:中山/有馬記念:9着

通算20戦4勝(重賞2勝)

※馬齢は現在の表記に統一しています。

エアデジャヴーは2つ上の半姉で桜花賞3着、オークス2着、秋華賞3着と惜しくもG1に手が届かなかった。また5つ下の全弟エアサバスは2冠馬の下ということで期待が高く、デビュー6戦連続で1番人気に推される過剰人気馬だった。(通算24戦3勝)

エアシャカールのデビューは2歳10月の東京開催。武豊騎手とのコンビで2番人気5着に敗れるが、続く未勝利戦を1番人気に応え優勝。初勝利を挙げた。

3戦目の500万下はM・デムーロ騎手とのコンビで1番人気。好位から先頭をうかがったが、パープルエビスに3/4馬身差及ばず2着に惜敗。

武騎手とのコンビに戻ったホープフルSでは中団からメンバー最速の上がりを使って差し切り勝ち。2勝目を挙げた。

その後は一息入れられ次走は皐月賞トライアル・弥生賞。
田原成貴調教師の管理馬で関口房朗氏所有馬フサイチゼノンが1番人気。エアシャカールは4番人気での出走だった。
道中は最後方に位置し、4角でまくって進出。上がり3Fメンバー最速の35.3秒を使って伸びたが、先に抜け出したフサイチゼノンに1.1/4馬身差及ばず2着だった。しかし皐月賞への優先出走権を獲得した。

本番皐月賞ではシンザン記念、スプリングSと別路線を連勝中だったダイタクリーヴァが1番人気。エアシャカールが僅差の2番人気で続いた。なお、弥生賞を勝ったフサイチゼノンは直前に脚部不安を発症し回避した。
ラガーレグルスがスタート直後にゲートで立ち上がり競走を中止するアクシデントがあり波乱の幕開けとなった。好位4番手から進めたダイタクリーヴァに対して後方3番手を追走するエアシャカール。4角手前でエアシャカールが仕掛けて先頭との差を縮め、直線では射程圏に入った。ダイタクリーヴァは変わらず内々の進路で直線満を持して追い出し。先に抜け出したダイタクリーヴァに外からエアシャカールが襲いかかる。最後は2頭のマッチレースとなったが、最後はクビ差エアシャカールが交わして優勝。重賞初勝利をG1制覇で遂げた。

次走ダービーでは単勝2.0倍の1番人気。2番人気はダイタクリーヴァ、3番人気は京都新聞杯を勝って滑り込んできたアグネスフライト。
武豊騎手はスペシャルウィーク、アドマイヤベガに続くダービー3連覇がかかった。
例によって後方からレースを進めるエアシャカールに対して、ダイタクリーヴァはちょうど中団。アグネスフライトはエアシャカールよりもさらに後ろ、最後方からの展開。エアシャカールが4角手前で徐々に動き、直線外をついて一気に伸びると、直線半ばで抜け出す。ダイタクリーヴァは馬群に沈んでいく。しかし、エアシャカールをマークしていたアグネスフライトが徐々に迫ってくる。残り1Fは2頭が抜け出してのデットヒートとなったが、ゴール直前で河内騎手騎乗のアグネスフライトがわずか7cm前に出て優勝。河内騎手の初ダービーにかける執念がハナ差エアシャカールを上回った。

惜しくも2冠を逃したエアシャカールだったが、その後は皐月賞後に発表されていたキングジョージ6世&クイーンエリザベスS(英G1)への遠征が行われた。
3歳馬しかも、クラシックレースを勝ったトップホースの参戦で期待が高かったが、残念ながらモンジューの5着に終わった。

遠征で結果を出す事はできなかったが、ダメージは少なく帰国後は菊花賞を目標に神戸新聞杯で始動。
単勝1番人気に支持されたが、前を捕らえ切れずフサイチソニックの3着に敗退。

次走菊花賞ではアグネスフライトに次ぐ2番人気での出走。これまでよりやや前目の中団からレースを進めると、直線一気に脚を伸ばし、トーホウシデンをクビ差交わして優勝。皐月賞に続くクラシック2冠を制した。
ダービーはわずか7cmのハナ差負けということで準3冠などと言われた。

その後はジャパンCへ出走。その年無敗だったテイエムオペラオーら古馬との対決に注目が集まったが、14着に惨敗。4歳馬は5頭出走し、最先着は外国馬のレーヴドスカーで7着。日本の4歳馬はアグネスフライト13着、イーグルカフェ15着、シルクプリマドンナ16着と後ろから4頭を独占。世代の強さに疑問符が残された。
なおレーヴドスカーはその後、日本でレーヴディソール、レーヴドリアン、アプレザンレーヴ、レヴダムール、ナイアガラを輩出した名牝である。

その後は有馬記念には出走せず休養。

翌年は大阪杯で始動した。主戦の武豊騎手がこの年海外遠征をしたため、蛯名騎手との新コンビで出走。+26キロの馬体重増もあり4番人気だったが、トーホウドリームから3/4馬身差の2着に好走。

次走天皇賞・春も4番人気だったが、直線伸びを欠きテイエムオペラオーの8着に終わった。

続く宝塚記念は3番人気だったが、直線もう一つ伸びきれずメイショウドトウの5着に敗退した。

秋は肺炎の症状もありレースに出走することなく、4歳シーズンを終えた。

5歳となった良く02年シーズンも始動戦は大阪杯。好位から積極的にレースを進めサンライズペガサスの2着と上々の滑り出しとなった。

続く金鯱賞では久しぶりに武豊騎手とのコンビで単勝1.8倍の1番人気に支持された。後方からまくり気味に進出するかつてのスタイルだったが、後方から鋭く追い込んだツルマルボーイの決め手の前に屈し1馬身半差の2着に敗れた。

次走の宝塚記念にはデザーモ騎手とのコンビでダンツフレームに次ぐ2番人気。積極的に好位からレースを進めたが直線伸びを欠きダンツフレームの4着に敗退した。

夏場は休養に充てられ秋は天皇賞で始動。この年は東京競馬場が改装工事のため中山競馬場で行われた。
6番人気4着で終わると、次走ジャパンCは7番人気12着。
さらに秋3戦目有馬記念も7番人気9着と見せ場なく終わり、現役引退となった。

■引退後
引退後は2003年からブリーダーズスタリオンステーションで種牡馬入り。
父サンデーサイレンス、姉エアデジャヴーの活躍もあり期待が寄せられていた。
しかし、繋養後まもなくの03年3月、放牧中に脚を骨折し予後不良の処置がとられた。
繁殖シーズンが始まった矢先の事故で、残された産駒は僅か4頭ですべてが牝馬であった。

4頭はそれぞれデビュー。
エアーミラクルがホッカイドウ競馬で1着となり産駒の初勝利となった。
中央ではエアファーギー、セフティーオーラ、マジブランシェの3頭が出走するも、エアファーギーが未勝利戦で挙げた1勝のみの勝ち鞍であった。

残った産駒は4頭のみとあまりにも少なく、種牡馬としての能力は未知のままである。
エアファーギー、マジブランシェは繁殖入りし産駒も出しており、その中から活躍馬が現れることに期待したい。

2012.7.17
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