■牝 1992/3/11生れ
■血統
父Cozzene
母Blade of Luck(Blade)
坂口正則厩舎
■戦績
94年10月:阪神/新馬戦:1着
94年11月:東京/京成杯3歳S:2着
94年12月:阪神/阪神3歳牝馬S:3着
94年12月:中山/フェアリーS:2着
95年1月:東京/クイーンC:1着
95年2月:京都/アーリントンC:1着
96年9月:中山/オータムスプリントS:7着
96年10月:東京/府中牝馬S:5着
96年11月:東京/根岸S:12着
96年11月:東京/キャピタルS:1着
96年12月:阪神/阪神牝馬S:7着
97年1月:京都/京都牝馬特別:1着
97年2月:中山/中山牝馬S:11着
97年3月:中京/中京記念:5着
97年4月:京都/シルクロードS:1着
97年5月:中京/高松宮杯:2着
97年6月:東京/安田記念:9着
97年9月:阪神/セントウルS:11着
97年10月:京都/スワンS:7着
97年11月:中京/CBC賞:2着
97年12月:中山/スプリンターズS:10着
98年4月:京都/シルクロードS:5着
98年5月:中京/高松宮記念:3着
98年6月:東京/安田記念:7着
98年7月:函館/函館スプリントS:2着
98年10月:京都/スワンS:2着
98年11月:中京/CBC賞:2着
98年12月:中山/スプリンターズS:10着
通算28戦6勝(重賞4勝)
※馬齢は当時の表記です。
当時はクラシック出走権のなかった外国産馬(アメリカ産まれ)。
デビュー戦は3歳10月の阪神1400m戦。南井騎手を背に単勝1.4倍の1番人気に支持された。
スピードの違いでハナを奪うと、一気の逃げ切りで2着馬に1.7秒の大差をつける圧巻のデビュー戦となった。時計も当時の3歳コースレコードの1.21.6と一躍注目を集めた。
2戦目も1400m戦のG2・京成杯3歳S。ここも1.4倍の圧倒的人気に推されたが、2戦2勝の牡馬ゴーゴーナカヤマに2馬身半差をつけられ2着に敗れた。
その後はG1・阪神3歳牝馬Sに出走。先手を奪うも、粘りきれずヤマニンパラダイスから0.2秒差の3着に惜敗。
中2週で挑んだフェアリーSではプライムステージに半馬身及ばず2着と重賞で惜敗が続いた。
年が明けて4歳となったエイシンバーリンは東京のクイーンCへ出走。先手を奪うと、前走先着を許したプライムステージに3/4馬身差をつけ逃げ切り勝ち。雪辱を果たし、重賞初制覇を飾った。
続くアーリントンCでは牡馬相手ながら2着ダイタクテイオーに2馬身半差をつける逃げ切り勝ちで重賞2連勝とした。
クラシックへの出走権のなかったエイシンバーリンだが、非凡なスピード能力を見せつけ、短距離路線の主役に立つかと思われたが、その後脚元の不安で休養に入る。その休養が長引き、復帰は1年7ヶ月後。5歳秋になってしまった。
OP特別・オータムスプリントで復帰。2番人気に支持されるも7着に敗退。
その後も府中牝馬S5着、根岸S12着と敗れた。
復帰後3戦は良いところなく敗れていたが、4戦目のOP特別キャピタルSで逃げ切り勝ち。復帰後初勝利を飾った。
次走阪神牝馬特別では7着に敗れたが、6歳になって初戦の京都牝馬特別では3歳時に敗れたヤマニンパラダイスをクビ差抑えての逃げ切り勝ちで2年1ヶ月ぶりの再戦で雪辱を果たした。
その後は距離の壁もあったか、1800mの中山牝馬Sを11着、2000mの中京記念を5着に敗退。
しかし、1200m戦に戻ったシルクロードSでは好スタートからハナを奪うと、ハイペースで飛ばす。上がり3Fを33.4秒でまとめると、そのまま後続に4馬身差をつける圧勝で重賞4勝目を挙げた。勝ちタイムは1.06.9は当時の日本レコードタイムだった。
勢いに乗ってG1・高松宮杯へ出走。快足ホクトフィーバスにハナは譲り2番手からの競馬。直線も粘ったがシンコウキングに1馬身差差し切られ惜しくも2着に敗れた。
その後は安田記念に出走するもタイキブリザードから0.8秒差の9着に敗退。
秋は1400m戦のセントウルSを11着、スワンSを7着。
1200m戦に戻ったCBC賞では2着に好走し、暮れのスプリンターズSへ。
しかし、春の勢いはなく、勝ったタイキシャトルから1.7秒離された10着に敗れた。
7歳となったエイシンバーリンだが、現役を続行。
始動戦のシルクロードSで5着に入ると、前年銀メダルだった高松宮記念(※この年からレース名変更)へ。不得手な稍重の馬場であったが、勝ち馬シンコウフォレストから0.1秒差の3着に逃げ粘る好走を見せた。
安田記念も不良馬場となり7着に敗退すると、その後は函館スプリントSへ。
勝ち馬ケイワンバイキングから2馬身離されたものの2着を確保した。
秋はスワンS、CBC賞を連続2着。
その後は引退レースとなるスプリンターズSへ。単勝1.1倍のタイキシャトルが出走しており、エイシンバーリンは5番人気。2番手からレースを進めたが、直線伸びを欠き、10着に終わった。タイキシャトルは3着に敗れ、勝ったのは4歳馬マイネルラヴだった。
このレースを最後に現役を引退。繁殖入りとなった。
ナリタブライアン、マチカネフクキタル、オグリキャップ、タマモクロスなど牡馬とのコンビで活躍することが多かった南井騎手だが、牝馬とのコンビで活躍した数少ない1頭であった。
■引退後
引退後は栄進牧場で繁殖入り。初年度からミシエロ、フォーティナイナー、サンデーサイレンス、ブライアンズタイム、ダンスインザダークとリーディング上位の種牡馬と交配されてきたが、目立った産駒は輩出できなかった。06年に産まれた牡馬は同じエイシンの冠を持つ快足馬エイシンワシントンとの仔だったが、残念ながら未出走に終わっている。
その後は現3歳の父クロフネの牡馬、現2歳の父スペシャルウィークの牡馬がスタンバイ。母のスピードを受け継いだ活躍が期待される。
2012.1.23