■牡 1993/3/22生れ
■血統
父シアトルダンサーⅡ
母MeadowMist
■戦績
95年10月;京都/新馬戦:1着
95年10月:京都/黄菊賞:2着
95年11月:京都/白菊賞:1着
95年12月:中山/朝日杯3歳S:2着
96年1月:東京/京成杯:7着
96年2月:京都/きさらぎ賞:3着
96年3月:中山/クロッカスS:3着
96年4月:東京/NZT4歳S:2着
96年5月:東京/NHKマイルC:8着
96年6月:阪神/菩提樹S:1着
96年8月:新潟/関屋記念:1着
96年10月:京都/スワンS:7着
96年11月:京都/マイルCS:17着
96年12月:中山/クリスマスS:10着
97年1月:京都/京都金杯:15着
97年2月:京都/すばるS:11着
97年7月:新潟/朱鷺S:3着
97年8月:新潟/関屋記念:1着
97年9月:阪神/セントウルS:5着
97年11月:京都/マイルCS:8着
97年12月:中山/スプリンターズS:5着
98年3月:阪神/マイラーズC:5着
98年4月:中山/ダービー卿CT:3着
98年5月:東京/京王杯SC:6着
98年6月:東京/安田記念:16着
98年10月:京都/スワンS:4着
98年11月:京都/マイルCS:4着
98年12月:中山/スプリンターズS:7着
99年2月:東京/東京新聞杯:7着
99年4月:中京/小倉大賞典:5着
99年5月:新潟/新潟大賞典:3着
99年7月:函館/函館記念:2着
99年8月:新潟/新潟記念:3着
99年10月:阪神/セントウルS:1着
99年11月:京都/マイルCS:8着
00年4月:阪神/マイラーズC:16着
00年5月:福島/新潟記念:12着
00年6月:阪神/障害未勝利:中止
00年7月:小倉/障害未勝利:2着
00年9月:小倉/障害未勝利:1着
01年6月:笠松/サマーC:7着
02年1月:高知/A:10着
02年3月:高知/A:8着
通算:45戦7勝
※表記は当時の馬齢です。
関屋記念連覇、セントウルSと重賞3勝を挙げ、最後は地方競馬に転厩して長く活躍したエイシンガイモン。
デビューは95年の秋。外国馬特有の仕上がりの早さもあり、3歳時から活躍。2戦目の黄菊賞では後の皐月賞馬イシノサンデーに敗れはするものの、人気のスギノハヤカゼらを抑え2着。朝日杯FSでは後の天皇賞馬バブルガムフェローとも差のない競馬を見せ2着に健闘した。
年明け初戦の京成杯では1番人気に推されるも小島太騎手騎乗のサクラスピードオーの逃げ切りの前に7着に敗退。続くきさらぎ賞では早めの競馬で抜け出しを図るもSS産駒のロイヤルタッチ、ダンスインザダークに出し抜かれ3着。
春はNZT4着を挟み、第1回目となったNHKマイルCに出走。5番人気に推されるも同じ父のタイキフォーチュンの1.32.6という当時驚異的な時計での勝利の前に8着に完敗。
夏場には4歳馬ながら古馬に挑戦し、関屋記念に参戦。メンバー中唯一の4歳馬ながら単勝1.8倍と断然の人気に推され、見事優勝。重賞初制覇を挙げる。また、騎乗した武豊騎手はこの勝利が新潟競馬場重賞初制覇として話題となった。
秋になり中央開催に戻ると、もう一つの競馬が続き、2桁着順を続けた。
翌98年夏、舞台を新潟に移した朱鷺Sでは久々に掲示板を確保すると、続く関屋記念では史上初の同レース連覇を達成した。その後は掲示板に載ることも多かったが一歩足りない競馬が続く。
翌99年も新潟大賞典3着、新潟記念3着と新潟巧者ぶりを見せる。その他にも函館記念2着、10月のセントウルSで重賞3勝目となる勝利を挙げ、これまでのマイル前後の距離から、中距離まで幅を広げての活躍を見せた。
00年を迎え8歳になると、大差での敗退を続け、6月に障害入り。初戦は圧倒的人気に支持されるも落馬競走中止。3戦目で勝ち上がるが、その後脚部不安を発症し、地方へ転籍となる。
9ヶ月の休養を挟み笠松で1戦、高知で2戦するも不得手なダートで勝ち星を挙げることはできず、02年3月に現役を引退した。
■引退後
02年3月2日の高知競馬の引退レースを終えると、翌3日には土佐黒潮牧場へ移動し、功労馬として繋養される。牧場にとっては4頭目のBTC引退名馬等の繋養展示の助成対象となった。通常引退後、種牡馬になれない場合は、去勢されることが多いが、できるだけ痛い思いを馬にさせたくない、という牧場の方針で、去勢されていないとのこと。