週刊あの馬は今!?


第71回:エリモダンディー
■牡 1994/5/11生れ
■血統
父ブライアンズタイム
母エリモフローレンス(イルドブルボン)
大久保正陽厩舎

■戦績
96年6月:札幌/新馬:1着
96年7月:札幌/ラベンダー賞:7着
96年12月:阪神/エリカ賞:9着
97年1月:京都/福寿草特別:1着
97年1月:京都/若駒S:1着
97年2月:東京/共同通信杯:5着
97年3月:阪神/すみれS:2着
97年4月:中山/皐月賞:7着
97年6月:東京/ダービー:4着
97年9月:札幌/タイムス杯:7着
97年10月:京都/京都新聞杯:5着
97年11月:菊花賞:10着
97年11月:京都/京阪杯:1着
98年1月:京都/京都金杯:2着
98年1月:京都/日経新春杯:1着

通算:15戦5(重賞2勝)

※馬齢は当時の表記です。

入厩当時は関係者も驚かせるほどのとても小さな馬体だった。
それゆえ仕上がりも早く、デビュー戦は6月の札幌と早々に初戦を向かえた。
芝の1000m戦で田面木騎手を背に3番人気での出走だった。馬体重は396キロと400キロを割っていた。
8頭立ての少頭数だったが中団から上がり34秒台の末脚で差し切るセンスの良さを見せての勝利となった。

連勝を狙ったラベンダー賞では2番人気に推されるも7着に敗退。

その後は5ヶ月の休養をとり、松永幹夫騎手とのコンビでエリカ賞へ。前走からプラス20キロの422キロまで成長していた。
しかし、それでもやや重めだったのか、9番人気9着に終わる。

次走の福寿草特別では単勝57.4倍の10番人気と低評価だったが、後方から豪快に伸びて、2着ドロテアスに3馬身半差をつけ快勝。2勝目を挙げた。

中1週で迎えた若駒Sは前走の圧勝で評価を上げ、2番人気での出走。朝日杯4着のランニングゲイルが1.3倍の圧倒的人気を集めていた。
しかし、レースではランニングゲイルの上がりを0.6秒上回る34.6秒の末脚で差し切り同馬に2馬身差をつけ優勝。2連勝とした。

小さい馬ながらタフに使われ、次走は中2週で共同通信杯。松永騎手がメジロブライトに騎乗したため、河北騎手に乗り替わり2番人気。後方からしぶとく差を詰めたが勝ったメジロブライトから0.5秒差の5着に終わった。

その後はOP特別すみれSへ。武豊騎手が騎乗し単勝1.3倍の断然人気に支持された。中団からスムーズなレースを見せたが、先手を取ったバーボンカントリーのマイペースに持ち込まれ、2馬身差の2着に敗れた。

迎えた春のクラシック2戦は河北騎手が騎乗しいずれも8番人気での出走となった。ともに先行したサニーブライアンが押し切る展開となり、後方からレースを進めたエリモダンディーには厳しいペースとなり、7着、4着に終わった。

秋は菊花賞を目指し、夏場の札幌OP特別を1戦して京都新聞杯に出走するも末脚はじけず5着。
5番人気で出走した菊花賞でもマチカネフクキタルの0.7秒差10着に敗れクラシックが終わった。

続いて出走した京阪杯(芝1800)では武豊騎手と2度目のコンビ。
これまで通り後方からのレースだったが、直線で伸びてナムラホームズに1/2馬身差をつけ優勝。重賞初制覇を飾った。

明け5歳となった翌年には京都金杯(芝2000)で始動。単勝2.2倍の1番人気に支持され直線鋭く伸びたが、先に抜け出したミッドナイトベットに1.1/2馬身差及ばず2着に敗れた。

続く日経新春杯では同期の牝馬メジロドーベルが1番人気で出走し、エリモダンディーは2番人気。
最後方からレースを進め脚を溜めると、上がり3F34.6秒の鋭い決め手を見せ、2着メイショウヨシイエに2.1/2馬身差をつける追い込みが決まった。2番目に早い上がりを使ったのが3着のファンドリロバリーの35.7秒と他のメンバーとはまさに次元の違うスピードだった。

が、レース直後に騎乗していた武豊騎手が下馬。すぐに診療所に運ばれたが、診断の結果重度の骨折が判明した。
これにより休養の選択肢を選ばざるを得なかったエリモダンディー。
しかし・・。
さらに悪いことは重なり、レース翌月、持病のあった内臓を患い、腸捻転により死亡。
小柄ながらもその鋭い末脚でファンを魅了したエリモダンディーは短い生涯を閉じた。

2011.11.22