■牝 1999/01/27生れ
■血統
父デインヒル
母Cocotte(Troy)
■戦績
01年12月:阪神/新馬戦:1着
02年8月:函館/500万下:1着
02年8月:札幌/阿寒湖特別:1着
02年9月:阪神/ローズS:1着
02年10月:京都/秋華賞:1着
02年11月:京都/エリザベス女王杯:1着
02年12月:中山/有馬記念:5着
03年8月:札幌/クイーンS:2着
03年10月:東京/毎日王冠:7着
03年11月:京都/マイルCS;2着
03年12月:阪神/阪神牝馬S:1着
04年6月:東京/安田記念:13着
04年7月:函館/函館記念:1着
04年8月:札幌/札幌記念:1着
04年11月:京都/マイルCS:9着
通算15戦8勝(重賞5勝)
馬齢は当時のの表記です。
半兄にジャパンカップを制したピルサドスキーがいる超良血馬。
デビュー戦は12月の阪神開催。武豊騎手を鞍上に芝の2000mに出走。単勝1.1倍という圧倒的な支持を集める。好スタートから先手を取ると、スピードの違いでそのまま押し切り、持ったままで後続に4馬身の差をつける圧勝。自らペースを作り、上がり3Fも最速の34.0と非の打ち所のないレースだった。
血統的背景もあり、春には仏オークスへの挑戦プランなども持ち上がったが、その後は骨折もあり、放牧へと出された。
復帰は3歳の夏。函館競馬場の平場戦からとなる。休み明け、古馬との対戦など楽な条件ではなかったが、ここでも単勝2.1倍の1番人気に推されると、レースでも圧倒的な走りを見せる。2番手に控えると、直線あっさりと抜け出し、後続に5馬身差をつけ圧勝。
続く阿寒湖Sでも5馬身差の圧勝劇を見せた。
夏場の条件戦を連勝して、秋には秋華賞を狙うべく、ローズSに出走。重賞初挑戦だったが、単勝1.2倍の支持を集めた。3,4番手を追走すると、殆ど鞍上の手綱は動かずに後続を突き放し、2着サクラヴィクトリアに3馬身差をつけ重賞初制覇を飾った。
無敗のままG1初挑戦となる秋華賞に挑む。桜花賞馬アローキャリー、オークス馬スマイルトゥモロー不在、2番人気が紫苑S3着のシャイニンルビーという低調なメンバーだったこともあり、単勝は1.1倍と断然人気だった。
レースではいつものように好位を追走すると、直線一気に抜け出し、2着サクラヴィクトリアに3馬身半の差をつけ優勝。勝ちタイムも1.58.1のレースレコードタイと圧倒的な走りを見せ付けた。
次走では古馬相手のG1、エリザベス女王杯に出走。レディパステル、ダイヤモンドビコー、ローズバドらが出走と、メンバーが強化されたが、ここでも全く相手にせず、2着ダイヤモンドビコーに2馬身半差をつけ優勝。無傷の6連勝で古馬G1制覇を遂げた。
牡馬も含め、無敗で古馬G1を制したのは現時点でもファインモーションただ1頭のみである。
暮れには有馬記念に参戦。グランプリ制覇を狙った。ここでも単勝1番人気に支持されるが、タップダンスシチーの競りかけにペースを崩されると、直線いつもの伸びが見られず、シンボリクリスエスの5着に敗れ、初黒星を喫した。
それでも7戦6勝、G1・2勝、重賞3勝の成績を残し、JRA賞最優秀3歳牝馬を受賞した。
古馬となり、始動戦は夏場のクイーンSとなった。1つ上の牝馬テイエムオーシャンも出走。ここではいつもの先行策ではなく、中団からの競馬。直線では良く伸びて差してきたが、逃げたオースミハルカにクビ差だけ届かず2着に敗退。連敗してしまう。
続く毎日王冠でも単勝1.3倍の1番人気に推されたが、道中引っかかってしまい暴走。バランスオブゲームの7着に大敗してしまう。
次走は天皇賞・秋、エリザベス女王杯などが候補に挙がったが、賞金不足の問題もあり、マイルCSに決定される。
中団からの競馬で、直線よく伸びたが、デュランダルの強襲にあい、3/4馬身差の2着に敗退。
次走の阪神牝馬Sでは単勝1.4倍の1番人気に応え、約1年ぶりの勝利を挙げた。
翌年は安田記念にぶっつけで出走。3番人気だったが、道中折り合いがつかず、ツルマルボーイから1.4秒離され13着に大敗。
復活を期し、夏場は北海道へ。函館記念に出走。終始外を回る展開で距離ロスもあったが、クラフトワークにクビ差及ばず2着。
続いて札幌記念にも出走。勝ち切れないレースが続いたこともあり、武豊騎手は最後方からの作戦をとる。後ろから折り合いをつけると、4角で徐々に進出。直線メンバー最速の34.9の末脚を使い突き抜けると、G2大将バランスオブゲームに1/2馬身差をつけ差し切った。
秋はエリザベス女王杯への参戦が有力だったが、鞍上の武豊騎手がもう1頭、アドマイヤグルーヴという牝馬のお手馬がいることもあり、マイルCSに回る。
前年の覇者デュランダルに次ぐ2番人気に支持されるが、中団から伸びず9着に敗退し、このレースを最後に現役を引退した。
■引退後
引退後は、オーナー所有の伏木田牧場で繁殖入り。もともと現役を送らず、繁殖入りするために購入、輸入された経緯もあり、母としての活躍にも期待が高かった。
初年度はキングカメハメハと3度交配するもいずれも不受胎。
05年は繁殖馬としての治療に専念するも、生まれつき繁殖能力に難がある体質のため、以降も新たな生命が宿ることなく、残念ながらその産駒は誕生していない。
今では繁殖牝馬から功労馬へとなり、余生を送っている。