週刊あの馬は今!?


第54回:ヒシミラクル
■牡 1999/03/31生れ
■血統
父サッカーボーイ
母シュンサクヨシコ(シェイディハイツ)

■戦績
01年8月:小倉/新馬戦:7着
01年8月:小倉/新馬戦:11着
01年9月:阪神/未勝利:8着
01年9月:阪神/未勝利:9着
01年10月:京都/未勝利:5着
01年10月:京都/未勝利:2着
01年11月:京都/未勝利:3着
02年4月:京都/未勝利:4着
02年5月:京都/未勝利:6着
02年5月:中京/未勝利:1着
02年6月:中京/ぶっぽうそう特別:2着
02年6月:阪神/亮布特別:1着
02年7月:新潟:佐渡特別:3着
02年8月:函館:洞爺湖特別:3着
02年9月:阪神/野分特別:1着
02年9月:阪神/神戸新聞杯:6着
02年10月:京都/菊花賞:1着
02年12月:中山/有馬記念:11着
03年3月:阪神/阪神大賞典:12着
03年4月:阪神/大阪杯:7着
03年5月:京都/天皇賞(春):1着
03年6月:阪神/宝塚記念:1着
03年10月:京都/京都大賞典:2着
04年10月:東京/天皇賞(秋):16着
04年11月:東京/ジャパンC:9着
04年12月:中山/有馬記念:14着
05年2月:京都/京都記念:3着
05年5月:京都/天皇賞(春):16

通算:28戦6勝(重賞3勝)

兄弟に目立った活躍馬はおらず、デビュー当初はそれほど注目を浴びる存在ではなかった。
2歳8月の小倉・芝1200m戦を角田騎手鞍上でデビュー。9番人気と評価は低かった。
レース内容も特筆すべきところはなく、7着に敗退。
その後も芝の短距離戦を使われるが4戦して未勝利。

距離を2000mに伸ばした5戦目でようやく掲示板に乗ることができ、その後は芝の中距離以上のレースを使われることになった。
以降は安定した走りを見せたものの、なかなか勝ち切ることができず、初勝利はデビューから10戦目、同期のタニノギムレットがダービー制覇を飾った5月26日のことだった。

やっとのことで初勝利を挙げたヒシミラクルは夏場も休みなくレースに出走。
500万下を2戦で勝ち上がると、1000万下も3戦で勝ち上がった。

夏の上り馬として挑んだ神戸新聞杯では7番人気。後方からいい脚を使い追い込んだものの、シンボリクリスエスから1.3秒離された6着に終わる。

神戸新聞杯で敗れ、菊花賞への優先出走件を逃したヒシミラクルだったが、抽選を突破し、G1の舞台へ出走が叶った。
夏場に力をつけたヒシミラクルだが、神戸新聞杯の結果を見る限り、10番人気と評価が低かったのは致し方なかったのかもしれない。
レースは1番人気ノーリーズンがスタート直後に落馬という波乱の幕開け。ヒシミラクルは後方を追走。3コーナー手前から徐々にポジションを上げると、4角では先頭に並びかけるロングスパートを見せた。そこからはメガスターダムとゴール前まで一騎打ち。さらに外から猛然と追い込んだ16番人気ファストタテヤマの追撃をハナ差凌ぎ切り、優勝。
豊富なスタミナを活かし切った角田騎手の好騎乗もあり、見事に菊花賞を制した。

その後、ジャパンカップはパスし、有馬記念に出走。
5番人気に推されたが、後方のまま伸びを欠き、11着に敗退し3歳シーズンを終えた。

古馬になり、天皇賞(春)を目標に、阪神大賞典で始動。
5番人気で出走するも、後方のまま12着に大敗。
次走の大阪杯でもいいところなく7着に敗れてしまう。

目標としていた天皇賞(春)には7番人気での出走となった。
いつものように後方からレースを進めたが、4角手前から徐々に押し上げると、直線早めに前を捕らえ、差を詰めたサンライズジェガーを半馬身差抑えて優勝。G1・2勝目を挙げた。

その後は春のグランプリ・宝塚記念へ。
シンボリクリスエス、タップダンスシチー、アグネスデジタルらの強豪に加え、その年のダービー馬ネオユニヴァースの参戦などもあり、距離不足が懸念されたヒシミラクルは6番人気に留まった。
しかしここでも前評判の低さを覆す。後方からレースを進め、4角では中団まで押し上げる。直線半ばで前を行くタップダンスシチー、シンボリクリスエスらを捕らえると、後方から鋭く差を詰めたツルマルボーイの追撃をクビ差凌ぎ切り優勝。G1・3勝目を飾った。
払戻単勝金額は1,630円だったが、この単勝馬券を大量購入し、払戻2億弱の配当を得た人がいることが判明。ミラクルおじさんとして話題になった。

夏場は休養し、秋は京都大賞典で始動。これまでの後方からマクリに出る先方ではなく、2番手を追走する積極的な競馬を見せると、そのまま2着に粘り込む新たな一面を見せた。

秋のG1・3連戦へ向け視界良好だったが、このあと繋靱帯炎を発症してしまう。

1年間の長期休養を余儀なくされ、復帰は翌年の天皇賞(秋)となった。
長期休養明けということもあり、10番人気での出走。さすがにここでは条件が厳しく、見せ場なく16着に敗退。
続くジャパンカップでは早め先頭の競馬を見せるも9着。
有馬記念では2番手を追走するレース内容だったが、直線は伸びを欠き、14着に大敗。
復帰後秋のG1はまったくいいところを出せずに終わる。

翌年は復活を期し、京都記念で始動。
勝ち馬ナリタセンチュリーから0.4秒差の3着に好走し、復活の兆しをみせた。
次走の天皇賞(春)では混戦ムードの中、3番人気に支持された。
しかし、積極的に好位を追走するも、直線ずるずると後退し、16着に終わる。
レース後、繋靱帯炎を再発していることが判明し、現役引退が決まった。

■引退後
引退後は、G1・3勝の実績が買われ、レックススタッドで種牡馬入り。
G1・3勝馬とはいえ、地味な血統背景、ムラのある競走成績から人気は高くなかった。
初年度の06年は22頭の繁殖を集めたが、07年が8頭、08年が8頭、09年が12頭と種付け数は伸びなかった。
初年度産駒は09年にデビューしたが成績は振るわず、ヒシカツトリタビが障害で1勝を挙げたのみで、現時点でも中央での勝利はその1勝のみとなっている。
そして、10年の種付けシーズンを最後に種牡馬を引退。現在は中村雅明牧場で余生を過ごしている。