■牝 1991/03/26生れ
■血統
父Theatrical
母Katies(ノノアルコ)
■戦績
93年9月:中山/新馬戦:1着
93年10月:東京/プラタナス賞:2着
93年11月:東京/京成杯3歳S:2着
93年12月:阪神/阪神3歳牝馬S:1着
94年1月:中山/京成杯:2着
94年1月:東京/クイーンC:1着
94年4月:中山/クリスタルC:1着
94年6月:東京/NZT4歳S:1着
94年10月:中山/クイーンS:1着
94年10月:阪神/ローズS:1着
94年11月:京都/エリザベス女王杯:1着
94年12月:中山/有馬記念:2着
95年7月:中京/高松宮杯:5着
95年9月:中山/オールカマー:1着
95年10月:京都/京都大賞典:1着
95年11月:東京/JC:2着
95年12月:中山/有馬記念:5着
96年6月:東京/安田記念:10着
96年11月:京都/エリザベス女王杯:7着(2位入線降着)
96年12月:中山/有馬記念:5着
通算:20戦10勝(重賞9勝)
※馬齢は当時の表記です。
中舘騎手とのコンビで活躍。歴代最強牝馬に挙げられることも多い"女傑"ヒシアマゾン。
デビュー2戦目(江田騎手)と現役最後のレースとなった有馬記念(河内騎手)以外の18戦で中舘騎手が手綱を取った。
デビュー戦は9月の中山。ダート1,200m戦だった。好位の2番手から直線きっちり伸びデビュー勝ち。
2戦目の500万した・プラタナス賞、G2・京成杯3歳Sではともに3着に敗れるも、4戦目でG1・阪神3歳牝馬Sに挑戦。
シスターソノに次ぐ2番人気に推される。好位2,3番手の追走から直線一気に加速すると、2着ローブモンタントに5馬身差をつけ圧勝。重賞初勝利がG1となった。
それまではそれほど極点に人気を集めることはなかったが、この勝利で一気に注目度が上がる。
当時、外国馬にはクラシックへの出走権がなく、春はG1への参加はできない状況だった。
年明け京成杯で始動するが、ビコーペガサスの2着に敗退。
しかし、ここから怒濤の快進撃が始まる。
クイーンCを単勝1.4倍の断然人気に応えて快勝。
続くクリスタルCでは今でもファンの間では語り草となっている鬼脚を決める。先手を取ったタイキウルフが完全に逃げ込み体勢に入り、残り100mを切ってもまだ3,4馬身のリードを保ったが、一瞬にして捕らえると、さらに1馬身突き放しゴールした。
春はその後、NZT4歳Sに出走し、ここでも単勝1.6倍の断然人気に応え優勝。
秋はエリザベス女王杯を目標に、クイーンSで始動。ジョウノバタフライに1馬身半差をつけ快勝すると、続くローズSでも2着アグネスパレードに1馬身差をつけ優勝。
重賞5連勝でエリザベス女王杯に挑んだ。
オークス馬チョウカイキャロルを抑え、単勝1.8倍の1番人気に推された。
レースでは道中後方集団を追走。勝負所で徐々に進出すると、チョウカイキャロルとの叩き合い。懸命に捕らえると、わずかにハナ差制して優勝。重賞6連勝で、G1・2勝目を挙げた。
外国馬のため、春にはクラシックに参戦できなかったが、オークス馬チョウカイキャロルを破ったことでうっぷんを晴らした。
その後は一流牡馬相手となる有馬記念に出走。
そして、このレースには圧倒的な強さでクラシック3冠を制した"怪物"ナリタブライアンがいた。
ナリタブライアンは3歳馬ながら単勝1.2倍の断然人気を集め、ヒシアマゾンは6番人気に甘んじた。
レースは並み居る牡馬・古馬を相手に正攻法。中団追走から早めに勝負に出ると、牝馬ながらナリタブライアンに勝ちに行く競馬を見せる。さすがに最後は3馬身差をつけられたが、ライスシャワー、アイルトンシンボリらを抑えて2着に入った。
94年は重賞6連勝でのエリザベス女王杯制覇などが評価され、最優秀4歳牝馬に選出された。
翌95年春は米国へ遠征するが、レース直前に脚部不安を発症。レースに出走することなく無念の帰国となった。
その後は当時芝2,000mのG2だった高松宮杯に出走。
単勝1.5倍の圧倒的1番人気に推されるが、スタート良く飛び出すと、ハナを切る形になってしまいマチカネタンホイザから0.4秒差の5着に敗れ、これまでデビューから続いていた連続連対記録も12で途切れた。
秋を迎えると、オールカマーで復帰。単勝2.0倍の1番人気で出走すると、2着アイリッシュダンスをクビ差抑えて優勝。秋初戦を飾った。
続いて出走した京都大賞典では後方待機から直線一気に伸び、上がり最速の34.6秒の末脚で一蹴。2着タマモハイウェイに2馬身半差をつけ快勝した。
外国産馬のため、天皇賞・秋への出走はならず、目標をジャパンカップに置いた。
股関節の怪我からの復活Vを狙うナリタブライアンが1番人気だったが、僅差の2番人気に推される。
いつものように後方からレースを進めると、直線豪快に伸び前との差を詰める。ドイツ馬ランドに1馬身半及ばずの2着ではあったが、敗れてなお強しの印象を残した。
年末の有馬記念ではナリタブライアンを抑えて1番人気で出走するも、出遅れもありマヤノトップガンの5着に敗れた。
翌96年は安田記念にぶっつけで出走。トロットサンダー、タイキブリザード、ヒシアケボノ、ジェニュインらの短距離で実績を残す実力馬が多数出走する中、4番人気の支持を集めた。
しかし、さすがに6ヶ月ぶりの実戦でこのメンバー相手には通用せず10着に敗れる。
秋は、エリザベス女王杯に出走。積極的な競馬を見せるが、ダンスパートナーに交わされる。結果的に2位入線するも、直線で走行妨害があり、7着に降着となってしまう。
エリザベス女王杯での騎乗もあってか、有馬記念には主戦の中舘騎手から河内騎手へとスイッチされた。しかし、全盛期の末脚は影を潜め、サクラローレルの5着に終わる。
すでに6歳でもあったため、引退かと思われたが、前年に大敗した安田記念を目指すことに決定。しかし、調整中に屈腱炎を発症し、そのまま引退することとなった。
■引退後
引退後は生まれ故郷の米国で繁殖入り。
1年目にオーナーの希望でヒシマサルを種付け後に渡米。
その1番仔はヒシアンデスと名付けられた。期待を背負いデビューしたが、4戦して未勝利のまま引退してしまった。
その後も05年生まれのヒシラスター(父FusaichiPegasus)が日本に輸入されたが、中央では勝ち星を挙げることができず、地方競馬で4勝を挙げるにとどまった。
現役時代には牡馬を相手にひけをとらず、女傑として活躍したが、繁殖としては今のところ活躍馬を輩出できていない。
しかし、ヒシアマゾンの姉ホワットケイティーディドがスプリンターズSを制したスリープレスナイトを輩出するなど、近親に活躍馬は多くおり、今後の産駒に期待をしたい。