週刊あの馬は今!?


第102回ヒシナタリー
■牝 1993/2/16生れ
■血統
父SeattleSlew
母DevilsSister(Alleged)
佐山優厩舎

■戦績
95年11月:中京/新馬戦:3着
95年12月:中京/新馬戦:2着
96年1月:京都/未勝利:1着
96年1月:京都/若駒S:1着
96年2月:京都/エルフィンS:2着
96年3月:中山/フラワーC:1着
96年4月:阪神/忘れな草賞:2着
96年5月:東京/NHKマイルC:6着
96年6月:中京/白百合S:7着
96年7月:阪神/宝塚記念:4着
96年8月:小倉/小倉記念:1着
96年9月:阪神/ローズS:1着
96年10月:京都/秋華賞:11着
96年11月:東京/ジャパンC:7着
96年12月:阪神/阪神牝馬特別:1着
97年4月:京都/オーストラリアT:17着



通算16戦6勝(重賞4勝)

※馬齢は当時の表記です。

アメリカ生れの外国産馬で、春のクラシックへの出走権はなかった。
デビューは角田騎手とのコンビで3歳11月の中京芝1800m。単勝2.0倍の1番人気に支持されるも勝ち馬ロイヤルスズカから1.3秒離された3着に敗れた。
次走、折り返しの新馬戦を逃げて2着とし、年が明けて3戦目のダート1800mの未勝利戦で初勝利を挙げる。

再度芝に戻った4戦目の若駒Sは4番人気だったが、好位から終いよく伸び、2着ザフォリアに3.1/2馬身差をつける快勝で2連勝とした。

続くエルフィンSは雪でダート替りとなった。好位追走で直線を迎えたが、伸びを欠き、チアズダンサーから0.9秒離された3着に敗れた。

6戦目は重賞初挑戦となったフラワーC。デビュー3連勝で岡部騎手鞍上のメイショウヤエガキが1.4倍の圧倒的人気を集め、ヒシナタリーは2番人気。
中団からレースを進め直線末脚を伸ばすと、さらに後方から差を詰めたメイショウヤエガキを1.1/2馬身差抑えて優勝。重賞初制覇を飾った。

桜花賞、オークスへ向けて主役候補誕生となるところだったが、当時は外国産馬にクラシックへの出走権はなく、裏街道を進む。

次走、単勝1.2倍の圧倒的人気に支持された忘れな草賞はナナヨーストームに2馬身離された2着に敗退。

その後は、外国産馬の春の目標レースとすべくこの年創設されたNHKマイルCへ。ファビラスラフイン、ツクバシンフォニー、スギノハヤカゼと人気が続き、ヒシナタリーは10番人気だった。レースはバンブーピノ、ファビラスラフインが飛ばす超ハイペース。中団から末脚を伸ばしたタイキフォーチュンが当時レコードタイムとなる1.32.6で優勝。ヒシナタリーは好位から粘ったが、0.8秒差の6着に終わった。

巻き返しを図った白百合Sでは河内騎手鞍上で1番人気だったが、逃げて直線失速。7着に敗れた。

連戦による疲労も心配されたが、その後は4歳牝馬ながら宝塚記念へ出走する。
斤量52キロは有利だったが、さすがに相手も強く、10番人気に留まった。
しかし、軽量を活かし上がり3Fメンバー最速となる34.3秒の末脚で伸びると、マヤノトップガンから0.3秒差の4着に好走した。

さらにその後も休みなく使われる。
翌月8月には小倉へ遠征。テイエムジャンボに次ぐ2番人気での出走。中団からレースを進めると、51キロのハンデを利して末脚爆発。2着スターマンに1.1/4馬身差をつけ差し切り勝ち。重賞2勝目を挙げた。

翌月はローズSに出走。桜花賞馬ファイトガリバーを抑え1番人気。中団からメンバー最速の末脚で直線伸びると、2着シーズグレイスに2馬身差をつけ優勝。重賞2連勝とし、秋華賞の有力候補となった。

迎えた秋華賞。勢いに乗るヒシナタリーだったが、主役はオークス馬エアグルーヴで単勝1.7倍の圧倒的人気だった。ヒシナタリーは2番人気ながら7.1倍とやや離れた人気であった。
中団から末脚を溜める展開となったが、中間に体調を崩したことも影響したのかいつもの伸び脚は見られず11着に大敗。勝ち馬ファビラスラフインから2秒離されてしまった。

その後はエリザベス女王杯ではなく、強豪牡馬相手のジャパンCへと進んだヒシナタリー。さすがに相手が強かったが、勝ち馬シングスピールから0.6秒差の7着とまずまずの結果を残した。

さらにその後も休養をとらず、暮れの阪神牝馬特別に出走。
後方で脚を溜め直線で鋭く伸びると、2着マジックキスをクビ差振り切って優勝。重賞4勝目を挙げた。

デビュー以来休みなく使われたヒシナタリーだったが、その後は4ヶ月の休養。
復帰は5歳4月のOP特別・オーストラリアT。単勝1番人気に支持されたが、直線まったく伸びず勝ち馬ゼネラリストから2.5秒離された最下位で入線。
レース中に故障していたことが発覚し、検査の結果、屈腱断裂で競走能力喪失と診断され、現役引退を余儀なくされた。

■引退後
引退後は出羽牧場で繁殖入り。
初年度はナリタブライアンが交配された。
三冠馬との仔はヒシマグナムと名付けられ期待されたが、2勝を挙げたのみであった。
2年目以降は生れ故郷のアメリカで繁殖生活を送り、Rahy、TouchGold、Unbridled'sSong、FusaichiPegasusと交配され、産駒は日本へ輸入されたが目立った成績は残せていない。
アメリカで繁殖生活を送っていたヒシナタリーだが、2007年には再度日本へ戻り、社台ファームで繋養されている。
2009年に生まれた父ディープインパクトの仔はヒシサイクロンと名付けられた。昨年12月にデビューし、ダート1800m戦に絞って11戦使われたが、2着1回、3着1回で未だ勝ち上がれていない。
2011年は父カンパニーの牝馬が誕生しており早ければ来年夏のデビューとなる。

2012.7.31
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