週刊あの馬は今!?


第86回:イシノサンデー
■牡 1993/5/29生れ
■血統
父サンデーサイレンス
母ジェフォリー(Alydar)
山内研二厩舎

■戦績
95年9月:函館/新馬戦:1着
95年9月:函館/3歳OP:3着
95年10月:京都/黄菊賞:1着
95年12月:阪神/ラジオたんぱ杯3歳S:2着
96年1月:東京/ジュニアC:1着
96年3月:中山/弥生賞:3着
96年4月:中山/皐月賞:1着
96年6月:東京/ダービー:6着
96年9月:中山/セントライト記念:4着
96年10月:京都/京都新聞杯:5着
96年11月:大井/スーパーダートダービー:3着
96年11月:盛岡/ダービーGP:1着
97年1月:京都/金杯:1着
97年2月:川崎/川崎記念:6着
97年2月:東京/フェブラリーS:9着
97年3月:阪神/大阪杯:6着
98年1月:中山/AJCC:6着
98年2月:京都/京都記念:2着
98年3月:中山/中山記念:5着
98年4月:阪神/大阪杯:3着
98年5月:京都/天皇賞・春:9着
98年6月:東京/安田記念:6着

通算22戦6勝(重賞3勝)

※馬齢は当時の表記です。

サンデーサイレンス2世代目でデビューは3歳9月の函館。四位騎手鞍上で単勝1.4倍の1番人気に推されると、好位から直線伸びてユノペンタゴンに1.1/4馬身差をつけ優勝。人気に応えデビュー勝ちを果たした。

続くオープン特別は3着に敗れたが、自己条件の黄菊賞では中団から鋭く伸び、2着エイシンガイモンに1.1/2馬身差をつけ差し切り勝ち。2勝目を上げた。

賞金を加算したが、朝日杯ではなく、2000mのラジオたんぱ杯3歳Sへ向かう。単勝2.4倍の1番人気だったが、同じSS産駒のロイヤルタッチにアタマ差及ばず2着に惜敗した。3着にも同じSS産駒のダンスインザダークが入っていた。

年明け4歳の始動戦はOP特別ジュニアカップ。芝の2000m戦で行われる予定だったが、降雪のためダート1600m戦に条件が変更となった。しかし、ダートで意外な適正を見せたイシノサンデーは2着馬に5馬身差をつける圧勝で単勝1.2倍の人気に応えた。

クラシックへ向け、皐月賞ステップレース・弥生賞へ進む。イシノサンデーは単勝1.9倍の1番人気だったが、ラジオたんぱ杯で3着だったダンスインザダークが2.1倍と人気を分け合った。
好位に取りつき直線前を行くツクバシンフォニーを追い詰めたが、さらに後からきたダンスインザダークにも交わされ、3着に敗れた。

前哨戦が終わり、3歳チャンピオンでスプリングSを勝ったバブルガムフェロー、暮れのラジオたんぱ杯を勝ったロイヤルタッチ、弥生賞で先着を許したダンスインザダークと並びSS産駒四天王として話題を集めた。
しかし、バブルガムフェローが骨折で戦線離脱。さらにダンスインザダークが直前で熱発のため回避となり、皐月賞に出走したのはイシノサンデーとロイヤルタッチ2頭だった。
ロイヤルタッチが1番人気でイシノサンデーは4番人気。
中団からレースを進めたイシノサンデーは早めに抜け出しを図ると、後から差を詰めたロイヤルタッチを3/4馬身差抑えて優勝。重賞初勝利をG1で飾り、終わってみればSS産駒のワンツーとなった。
鞍上四位騎手も初G1制覇だった。

次走、日本ダービーは皐月賞馬として挑んだ1戦だったが、距離延長に不安がささやかれ、3番人気に留まった。
その不安が的中し、中団からレースを進めたイシノサンデーだったが、直線は伸びを欠き、勝ったフサイチコンコルドから1.0秒差の6着に敗れた。

夏場は休養し、秋は菊花賞トライアルへ。セントライト記念で1番人気4着に敗れると、続く京都新聞杯も5着に敗退。
菊花賞出走は見送り、ダート戦へと矛先を向けた。
大井のスーパーダートダービーは1番人気で3着に敗退したが、続く盛岡のダービーGPを見事優勝。ダート適正を改めて見せた。

4歳シーズンはそのまま終了し、5歳となったイシノサンデーは再び芝のレース・京都金杯で始動。
斤量57.5kgのトップハンデで3番人気だったが、好位から直線鋭く抜け出し、2着ユウトウセイに2馬身差をつけ優勝した。

その後ダートの川崎記念、フェブラリーSに出走したが、6着、9着といずれも勝ち馬とは大差をつけられ敗退した。

再度芝のレースに戻り大阪杯に出走。3番人気で6着に敗れると、その後骨折を発症。
5歳シーズンは休養で終えることになる。

復帰は6歳となって1月のAJCC。休み明け+12キロでの出走ときつい条件もあり6着に敗退。
一叩きされた次走の京都記念では6番人気の低評価ながらミッドナイトベットの2着に好走した。

続く中山金杯はサイレンススズカの5着に敗れたが、大阪杯ではエアグルーヴの3着と安定した結果を残した。

その後は距離に不安はあったが、天皇賞・春へ出走。メジロブライトの9着に敗れ、次走の安田記念ではタイキシャトルから1.4秒離された6着に終わった。

その後、屈腱炎を発症し、現役引退が決まった。

■引退後
引退後はJRAが購入し、日本軽種馬協会で種牡馬入り。千葉県下総種馬場で繋養された。
その後は転々とし、02年には青森の七戸種馬場へ移動。その後も九州種馬場、再度七戸種馬場へ戻り、静内種馬場へ。2011年からは十勝軽種馬農協種馬所で供用されている。

産駒がデビューして10年以上経つが、目立った産駒は出せていない。
中央では初年度産駒のシルクボンバイエが5勝を挙げたが、オープンで勝利を挙げた馬はいない。
初年度産駒がデビューした2002年から現在まで中央では10勝のみで06年のカネショウサンデーが未勝利勝ちして以来勝利がなく、厳しい状況になっている。

2012.4.10
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