■牡 1994/2/18生れ
■血統
父ノーザンテースト
母クリスザレディー(Kris)
秋山雅一厩舎
■戦績
96年10月:新馬戦/大塚/1着
96年11月:百日草特別/吉田豊/1着
96年12月:朝日杯3歳S/吉田豊/15着
98年5月:ビッグベン賞/吉田豊/2着
98年6月:900万下/吉田豊/18着
99年6月:500万下/吉田豊/3着
99年7月:石打特別/吉田豊/1着
99年8月:佐渡S/吉田豊/1着
99年9月:ニューマーケットC吉田豊/1着
99年10月:福島民報杯吉田豊/1着
99年10月:天皇賞・秋/吉田豊/16着
99年12月:ディセンバーS/吉田豊/1着
00年1月:中山金杯/吉田豊/3着
00年2月:白富士S/吉田豊/1着
00年2月:中山記念/吉田豊/6着
01年8月:関屋記念/吉田豊/2着
01年9月:京成杯AH/吉田豊/2着
01年10月:富士S/吉田豊/1着
01年11月:マイルCS/吉田豊/8着
通算19戦9勝(重賞1勝)
※馬齢は旧表記で統一します。
怪我が多く順調な競走生活ではなかったが、大種牡馬ノーザンテーストの最終世代の産駒で「ノーザンテースト最後の大物」の看板を背に8歳(現7歳)まで現役を続けた。
デビューは3歳10月の東京芝1600m。大塚栄三郎騎手を背に、ヒシアマゾンの半妹ヒシナイルに3馬身半差をつける快勝でデビュー戦をものにした。
続く百日草特別から吉田豊騎手に乗り替わり、以降主戦として同騎手が騎乗した。2番手からあっさり抜け出すと、後続に2馬身半差をつける完勝で2連勝を飾る。
3戦目となったG1・朝日杯3歳Sでは1番人気に支持された。
好位を追走したクリスザブレイヴだったが、直線手前からずるずる後退すると勝ち馬マイネルマックスから2.5秒離された15着に大敗した。
さらにその後骨折が判明し長期休養に入ることになった。
休養は1年半にもおよび、5歳5月の900万特別・ビッグベン賞での復帰となった。
久々の実戦ながら単勝1.6倍の圧倒的1番人気に推された。積極的に先手を奪うも2番手を追走したコウチエラミーに1馬身差交わされ2着に惜敗。
確勝を期して出走した次走の900万条件も1.7倍の1番人気だったが、直線後退し最下位18着に大敗した。
ここで再び脚部不安を発症したクリスザブレイヴは2度目の長期休養へ入ることになる。
1年後、6歳6月に復帰。初戦の500万条件こそ3着に敗れたが、その後は素質を見せることになる。
500万特別・石打特別、900万特別・佐渡S、1600万特別・ニューマーケットCを連勝してオープン入り。
ニューマーケットCでは逃げて上がり3F最速という強い内容だった。
次走OP特別福島民報杯でも先手を奪うと、2着テイエムトッキューに1馬身1/4差をつけ逃げ切り勝ち。OP初勝利を挙げた。
4連勝と勢いに乗ったクリスザブレイヴは3歳以来となるG1の舞台、天皇賞・秋に出走。
未知の魅力はあったものの一気の相手強化で7番人気に留まった。
レースでも先手を取れず須貝騎手騎乗のアンブラスモアが逃げる展開。クリスザブレイヴは4,5番手を追走したが直線まったく伸びずに16着に大敗した。
G1では歯が立たなかったものの、続くOP特別ディセンバーSではあっさりと先手を取ると、2着プロモーションに1.3/4馬身差をつけ逃げ切り勝ち。
OP2勝目を挙げ、次走はG3・中山金杯へ。
単勝2.1倍の1番人気に支持され、重賞初制覇のチャンスだったが、直線踏ん張りきれず、ジョービッグバンの3着に敗れた。
次走OP特別・白富士Sを単勝1.5倍の人気に応えて逃げ切りOP特別3勝目を挙げる。
続く中山金杯も1番人気での出走だったが、ダイワテキサスの6着に敗れた。
OP特別では強いレースを見せるも重賞では一歩足りない結果が続いた。
さらにその後は屈腱炎を発症。3度目の長期休養に入ることになった。
復帰は1年半後のの関屋記念。クリスザブレイヴもすでに8歳となっていた。
年齢的なものもあり8番人気と低評価だったが逃げ粘って2着に好走。
続く京成杯AHも2着に入ると次走はG3・富士Sへ。
3番人気だったが好位から直線抜け出すと、追い込んだダイタクリーヴァに2馬身差をつけ優勝。悲願の重賞初制覇を飾った。
次走は重賞の勲章を手にG1・マイルCSへと進む。6番人気での出走だった。
好スタートから先手を奪ったが、直線入口で勝ち馬ゼンノエルシドに並ばれると6着に敗れた。
その後屈腱炎を再発し、現役引退が決まった。
8歳にして手にした重賞タイトルがノーザンテースト産駒最後の重賞勝利でもあった。
■引退後
現役引退後は種牡馬入り。ノーザンテースト最後の大物という肩書きはあったものの重賞タイトルは富士Sの1つのみで繁殖は集まらなかった。
2005年に初年度産駒がデビューしたが、ダンシングクリスが2勝を挙げたのみでその他に勝利を挙げた産駒は出なかった。
活躍馬を輩出できず、2005年に種牡馬登録を抹消。中国へ輸入されることになったがその後の消息は不明である。
2012.12.10