■牡 1992/5/31生れ
■血統
父サンデーサイレンス
母モミジダンサー(ヴァイスリーガル)
大沢真厩舎
■戦績
95年2月:京都/新馬戦:1着
95年3月:京都/ゆきやなぎ賞:1着
96年4月:阪神/明石特別:4着
96年5月:京都/鴨川特別:1着
96年5月:中京/桶狭間S:1着
96年6月:東京/エプソムC:1着
96年6月:札幌/札幌記念:1着
96年9月:阪神/朝日CC:1着
96年10月:京都/京都大賞典:1着
96年10月:東京/天皇賞(秋):4着
96年12月:中山/有馬記念:2着
97年3月:阪神/大阪杯:1着
97年4月:京都/天皇賞(春):3着
97年7月:阪神/宝塚記念:1着
97年12月:中山/有馬記念:2着
通算15戦10勝(重賞6勝)
※馬齢は当時の表記です。
サンデーサイレンスの初年度産駒。3歳秋のデビューを目指していたが、調教中に骨折を発症。さらに放牧先の疝痛で一時は生命の危機に見舞われるアクシデントがあり、デビューは年明け4歳2月にずれこんだ。
武豊騎手鞍上で単勝2.2倍の1番人気に支持されると、2着ヤグラグラビトンに1.3/4馬身差をつけ優勝。人気に応えデビュー勝ちを果たした。
続くゆきやなぎ賞はダイタクサージャンをクビ差抑えてデビュー2連勝。
その後はクラシック出走を目指して毎日杯に登録するも、デビュー前と同じ右膝を骨折。
春のクラシックは断念し休養に入る。
その後は秋に帰厩するも、今後は左後脚を骨折する不運に見舞われ、復帰は翌5歳の4月となった。
1年1ヶ月ぶりの復帰戦は4着に敗れたが、その後は900万特別、準オープンをそれぞれ単勝1.3倍、1.2倍の人気に応え連勝。
オープン初戦はG3・エプソムC。いきなりの重賞挑戦だったが、単勝2.2倍の1番人気に支持された。
中団につけて直線追い出されると上がり3F34.8秒の末脚で伸び、2着ユウセンショウに1/2馬身差をつけ優勝。重賞初制覇を飾った。
狙いを秋の天皇賞に定め、次走は札幌記念へ。ここも中団から危なげなく抜け出し、マイヨジョンヌをクビ差抑えて優勝。
さらに朝日CCでは3番手から抜け出す先行策で優勝。脚質の自在性も見せ、単勝1.4倍の1番人気に応えた。
G3を3連勝したマーベラスサンデーは初のG2となる京都大賞典へ出走。G1馬ダンスパートナーも出走したが、マーベラスサンデーは単勝1.2倍の圧倒的1番人気に支持された。
中団から上がり3F33.9秒を使い抜け出すと、2着ミナモトマリノスに1/2馬身差をつけ優勝。
重賞4連勝を含む6連勝とし、次走はいよいよG1・天皇賞(秋)へと進んだ。
オールカマーを快勝したサクラローレルを筆頭に、前年の菊花賞馬マヤノトップガン、4歳ながら菊花賞をパスして挑んだバブルガムフェローと強力牡馬と激突。4強の1角を形成しサクラローレルに続き2番人気に支持された。
4歳馬バブルガムフェローが積極的に3番手、マヤノトップガンが5番手でレースを進め、マーベラスサンデーは中団から。その後に1番人気サクラローレルと続いた。4強が直線激しい攻防を繰り広げ、マーベラスサンデーも直線よく伸びたが、勝ったバブルガムフェローから1/2+クビ+アタマ差の4着に敗れた。
その後はJCをステップし有馬記念へ。サクラローレル、マヤノトップガンに続く3番人気での出走。
マヤノトップガンが2番手追走も直線後退。マーベラスサンデーとサクラローレルが直線で伸びたものの最後は突き放され、2馬身半差の2着に敗れた。
初の連敗を喫したマーベラスサンデー。6歳初戦は必勝を期して大阪杯で始動。
単勝1.5倍の1番人気に支持され、前年のクラシックで活躍したロイヤルタッチ、イシノサンデーが続いた。レースは好位3番手を追走したマーベラスサンデーが直線抜け出すと、2着ユウトウセイに1.1/2馬身差をつけ優勝。重賞5勝目を挙げた。
その後は天皇賞(春)。有馬記念同様3強対決となった。
ぶっつけ出走のサクラローレルが1番人気。阪神大賞典で後方から追い込む脚質変換を見せたマヤノトップガンが2番人気。マーベラスサンデーは3番人気だった。
中団に位置したサクラローレル、マーベラスサンデーが4角手前から仕掛けて上がっていくと、直線は2頭が抜け出し一騎打ちに。しかし、サクラローレルがマーベラスサンデーを競り落とし抜け出したところに道中脚を溜めていたマヤノトップガンが大外から強襲。2頭を一気に交わし去って優勝した。
またしてもG1制覇ならず3着に惜敗したマーベラスサンデー。
次走は悲願のG1制覇を目指し春のグランプリ・宝塚記念へ。ライバルのサクラローレルがフランス遠征、マヤノトップガンが秋に備えて休養に入ったため、マーベラスサンデーが1番人気。安田記念を制したタイキブリザード、ステップの鳴尾記念を勝って挑んだバブルガムフェローがそれに続いた。
後方からの競馬となったが、勝負所で徐々に上がっていくと、直線バブルガムフェローとの競り合いをクビ差制し優勝。4度目の挑戦でG1制覇を飾った。
G1馬の仲間入りを果たし、秋はジャパンカップを目標にされたが、またしても骨折が判明。休養に入った。
JCは間に合わなかったものの、回復は早く、有馬記念を目標に調整が進められた。
同じく武豊騎手が主戦を努めたエアグルーヴも出走してきたが、マーベラスサンデーを選択。半年ぶりの実戦ながら1番人気に支持された。
中団やや後ろからレースを進め、直線エアグルーヴを交わし先頭に立ったが、ゴール寸前でシルクジャスティスにアタマ差屈し2着に惜敗した。
惜しくもG1・2勝目はならなかったが翌年も現役を続行することが決まった。しかし予定されていた阪神大賞典を前に屈腱炎を発症。現役引退、種牡馬入りが決まった。
勝つ時も着差はそれほどつかず派手さはなかったが、堅実な走りで常に力を出し切るタイプだった。武豊騎手がデビュー以来15戦すべての手綱を取ったことからもその能力の高さがうかがえる。
■引退後
引退後はCBスタッドで種牡馬入り。
初年度の98年は111頭へ種付けを行った。
初年度産駒からは早い時期に活躍する馬こそ出なかったが、シルクフェイマスが古馬になって日経新春杯、京都記念、AJCCと重賞3勝をする活躍を見せた。
その後もコンスタントに100頭前後の繁殖を集めたが、2003年に繋養先のCBスタッドが倒産。その影響で種付けは50頭に減った。
しかし、その後は優駿スタリオンステーションに移動し、04年は166頭、05年は162頭、06年は153頭を集める人気となった。
SS後継種牡馬が続々と種牡馬入りしており、種牡馬としても厳しい戦いとなっているが、08年以降も50頭前後の種付けへを行い、2011年も45頭を集めた。
産駒はシルクフェイマス同様古馬になって活躍する馬が多く、キングジョイ(中山大障害など)、ネヴァブション(日経賞、AJCC2回)、スマートギア(中日新聞杯)、サニーサンデー(福島記念)などを輩出している。
2012.3.27