■牡 2003/3/15生れ
■血統
父サンデーサイレンス
母ペイパーレイン(BelBolide)
国枝栄厩舎
■戦績
05年8月:札幌/新馬戦:1着
05年10月:札幌/札幌2歳S:6着
06年3月:中山/500万下:1着
06年4月:東京/青葉賞:4着
06年5月:中京/白百合S:7着
06年8月:札幌/日高特別:1着
06年9月:中山/セントライト記念:中止
06年12月:中山/冬至S:2着
06年12月:中山/クリスマスC:1着
07年1月:中山/AJCC:1着
07年3月:中山/日経賞:3着
07年4月:京都/天皇賞(春):11着
07年9月:札幌/札幌記念:7着
07年9月:中山/オールカマー:1着
07年10月:東京/天皇賞(秋):15着
07年12月:中山/有馬記念:1着
08年3月:中山/日経賞:1着
08年4月:香港/クイーンエリザベス2世C:6着
08年8月:札幌/札幌記念:2着
08年9月:中山/オールカマー:1着
08年11月:東京/ジャパンC:4着
08年12月:中山/有馬記念:12着
09年4月:阪神/大阪杯:7着
09年8月:札幌/札幌記念:9着
09年9月:中山/オールカマー:1着
09年11月:東京/天皇賞(秋):17着
09年12月:中山/有馬記念:7着
通算27戦10勝(重賞6勝)
サンデーサイレンス産駒のラストクロップとなる03年産まれの世代。
デビュー戦は2歳8月の札幌戦。鞍上蛯名騎手で3番人気で出走。中団から徐々にポジションを上げると、直線楽に後続を突き放し、2着サンファイバーに7馬身差をつける圧勝でデビュー戦を飾った。
初戦での勝ちっぷりから2戦目の札幌2歳Sでは2番人気に推されるが、直線伸びを欠き勝ち馬アドマイヤムーンから0.8秒差の6着に敗れた。
その後休養に入り、復帰戦の500万条件を優勝すると、ダービー出走を目指し青葉賞に出走。
アドマイヤメインに次ぐ2番人気に支持されたが、惜しくも4着に敗れダービーへの優先出走権を逃した。
次走のOP特別・白百合Sでも7着に敗れると、3ヶ月の休養に入る。
復帰戦の札幌・日高特別を快勝し挑んだセントライト記念では3番人気だったが、4角で他馬と接触し落馬するアクシデントがあり、競走を中止。
結局クラシックには出走が叶わなかった。
セントライト記念で落馬するも大事には至らず暮れの中山開催で復帰。
冬至Sはハナ差2着に惜敗したが、中1週で挑んだクリスマスCを勝ちOP入りを果たした。
古馬となり初戦はG2・アメリカジョッキークラブカップ。
インティライミが1番人気でマツリダゴッホは2番人気。
好位に取りつき4角で先頭に並びかけると直線後続を突き放し、2着インテレットに5馬身差をつけ圧勝。重賞初制覇を飾った。
重賞2連勝を狙った日経賞では単勝2.4倍の1番人気。直線いったんは先頭に立ったもののそこからやや伸びを欠きネヴァブションの3着に敗れた。
着実に力をつけ、春には天皇賞に出走。しかし道中は2,3番手につけるも4角から徐々に後退しメイショウサムソンから1.0秒差の11着に終わった。
その後休養に入り札幌記念で始動するも1番人気7着に敗退。
それでも一叩きした次走のオールカマーでは得意の中山替わりということもあり単勝2.3倍の1番人気。
道中は中団で進め4角手前からまくっていくと2着シルクネクサスに1/2馬身差をつけ優勝。重賞2勝目を挙げた。
その後はG1へ駒を進めたマツリダゴッホ。天皇賞・秋では初の東京コースもあり15着に大敗。
続く有馬記念では単勝52.3倍の9番人気と評価を落とした。
道中はダイワスカーレットを見るように位置し、4角で早めにダイワスカーレットを交し先頭に立つと、直線はセーフティリードを保ち、1.1/4馬身差をつけ優勝。G1初制覇を遂げた。
翌5歳シーズンはドバイ遠征も計画されていたが馬インフルエンザの影響で断念され、日経賞で始動されることになった。得意の中山コースで4角まくりを決めると2着トウショウナイトに3馬身差をつけ1番人気に応えた。
その後は目標としていた香港のクイーンエリザベス2世Cへ遠征。しかし飛行機遅延などのトラブルもあり万全ではなかったか、いったん先頭に立ったものの直線粘りきれず6着に終わった。
その後は宝塚記念を見送り、秋に備え休養に入った。
前年同様札幌記念で始動。
1番人気での出走だったが、ゴール前でタスカータソルテにクビ差交され2着に敗れた。
次走のオールカマーは単勝1.4倍の圧倒的1番人気に推されると2着キングストレイルに2馬身差をつけ快勝。連覇を達成した。
その後は有馬記念連覇を目標にし、前年大敗した天皇賞・秋は回避することが決まり、次走はジャパンCへ。
積極的なレースを見せ、いったんは先頭に立つ内容でスクリーンヒーローから0.2秒差の4着に好走した。
連覇を狙った有馬記念ではダイワスカーレットに次ぐ2番人気での出走。しかしスタートが合わずいつもの先行策が取れず後方からのレースとなってしまい良いところ無く12着に大敗してしまった。
翌6歳シーズンは大阪杯で始動するも7着に敗退。
春は宝塚記念を目標にしていたが、ステップレースの金鯱賞前に鼻出血を発症。春シーズンは全休することになった。
この年も始動戦は札幌記念。後方から流れに乗れず9着に敗退する。
次走も3年連続の出走となるオールカマー。好スタートから逃げの先方が取られると、そのまま直線も脚色が衰えず2着ドリームジャーニーに2馬身差をつけ優勝。JRA史上5頭目となる同一重賞3連覇を果たした。
その後は天皇賞・秋に出走したが、直線ずるずる後退しブービー17着に大敗。
それでも引退レースとなった有馬記念では得意の中山コースということで3番人気に支持された。
後方からレースを進め、3角過ぎからポジションを上げ4角では先頭に立ったが、直線後退し、ドリームジャーニーから1.9秒差の7着に終わった。
中山競馬場での相性が非常によく、重賞6勝はすべて中山競馬場で挙げたもので、13戦8勝の好成績を収めた中山巧者だった。
■引退後
2010年1月に引退し、その後はレックススタッドで種牡馬入り。
初年度は種付け料100万円(受胎条件)と手軽な価格帯だったこともあり、128頭の繁殖を集める人気振りだった。
昨年1月に初産駒が誕生しており、初年度産駒のデビューは2013年夏以降になる。
2012.1.17