週刊あの馬は今!?


第48回:マヤノトップガン
■牡 1992/03/24生れ
■血統
父ブライアンズタイム
母アルプミーブリーズ(BlushingGroom)

■戦績
95年1月:京都/新馬戦:5着
95年2月:京都/未勝利戦:3着
95年3月:京都/未勝利戦:3着
95年3月:京都/未勝利戦:1着
95年4月:京都/500万下:3着
95年5月:京都/500万下:3着
95年5月:中京/500万下:1着
95年6月:中京/ロイヤル香港JCT:3着
95年7月:中京/やまゆりS:1着
95年9月:京都/神戸新聞杯:2着
95年10月:京都/京都新聞杯:2着
95年11月:京都/菊花賞:1着
95年12月:中山/有馬記念:1着
96年3月:阪神/阪神大賞典:2着
96年4月:京都/天皇賞(春):5着
96年7月:阪神/宝塚記念:1着
96年9月:中山/オールカマー:4着
96年10月:東京/天皇賞(秋):2着
96年12月:中山/有馬記念:7着
97年3月:阪神/阪神大賞典:1着
97年4月:京都/天皇賞(春):1着

通算:21戦8勝(重賞5勝)

※馬齢は当時の表記です。

兄弟に目立った活躍馬はおらず、春のクラシックの頃は条件戦をうろうろしていたが、4歳秋に素質が一気に開花した遅咲きの血統だったマヤノトップガン。

デビューは年明け1月・ダート1200mの新馬戦。武豊騎手を鞍上に単勝1.7倍の断然人気に推されたが、後の桜花賞馬ワンダーパヒュームから離されること1.1秒差の5着に敗退。
デビュー当初はソエの影響もありダート戦を使われ、勝ち切れないレースが続く。初勝利を挙げたのは4戦目の未勝利戦のことだった。
その後は500万下に出走するも3着。次走の500万下では田原騎手が2戦目以来の手綱を取り、以降は同騎手が引退まで主戦を務めた。
自己条件で2度足踏みがあり、2勝目を挙げたのは同期が日本ダービーという晴れ舞台を迎えた当日5月28日、裏開催・中京競馬場の平場のレースだった。

900万に昇格して臨んだロイヤル香港JCTは好位から抜け出すも、勝ったフェアダンスからアタマ+クビ差の3着に惜敗。
しかし、デビュー以来初の芝レースでの善戦でこの後は芝のレースを使われることになった。

続くやまゆりSで3勝目を挙げOP入りすると、秋の始動戦・神戸新聞杯では5番人気ながらタニノクリエイトの2着に好走。賞金を加算し、ラスト1冠・菊花賞への道を開いた。

さらに京都新聞杯でもナリタキングオーの2着に入ると、菊花賞では3番人気と主役の一角を担うまでに成長していた。

この年の菊花賞は、オークス馬ダンスパートナーが参戦したことで注目を集めた。マヤノトップガンは道中好位でレースを進めると、早めに進出。直線手前で先頭に立つと、そのまま後続の追撃を振り切り優勝。勝ちタイム3.04.4は当時のレコードタイムで、2着トウカイパレスに1.1/4馬身差をつける完勝だった。

夏場も使われてきた上り馬・マヤノトップガン。秋も3走し疲労がたまっていたため、有馬記念についてはぎりぎりまで出否の判断がされなかったが、体調面に問題がないと判断した陣営から有馬記念出走にゴーサインが出た。
G1馬とはいえ、ほかにナリタブライアン、ヒシアマゾン、同期の皐月賞馬ジェニュインらが参戦しており、マヤノトップガンは6番人気と評価は低かった。
スターとしてすぐに先手を奪い、初めての逃げる展開となったが、終始落ち着いた走りを見せると、直線も脚色は衰えず、2着タイキブリザードに2馬身差をつけそのまま逃げ切った。
夏の上り馬マヤノトップガンはG1・2連勝を飾り、この年の年度代表馬、最優秀4歳牡馬に選出された。

古馬になると、天皇賞(春)を目標に阪神大賞典で始動。
ここには故障から復帰後の秋3戦で結果を出せずもがき苦しむ3冠馬ナリタブライアンが鞍上に武豊騎手を迎え参戦してきた。
人気は2頭に集中し、最終的にはマヤノトップガンが2.0倍で1番人気、ナリタブライアンが2.1倍の2番人気であった。
レース前から一騎打ちの様相。両馬ともに中団からレースを進め、マヤノトップガンが3角からすっと進出すると、連れてナリタブライアンも上がっていく。
残り600mあたりから2頭で抜け出す形になると、そこからゴールまでマッチレース。他の8頭とはまったく次元の異なるレースを繰り広げる。2頭のマッチレースは最後ににナリタブライアンがアタマ差だけ前に出たところがゴールだった。怪物ナリタブライアンの復活となったが、名勝負に世間は沸いた。3着でゴールしたルイボスゴールドはさらに遅れること9馬身差であった。

次走の本番・天皇賞(春)ではナリタブライアンが1.7倍の1番人気、マヤノトップガンが2.8倍の2番人気と、ファンは再度の一騎打ちを期待した。
マヤノトップガンが4角手前からスパートをかけると、連れてナリタブライアンが上がっていく、前走と同じような展開にスタンドが沸く。
しかし、マヤノトップガンの脚色が怪しい。
ナリタブライアンにあっさり交わされると、直線半ばでずるずると後退。ナリタブライアンも一度は抜け出したものの、後続から鋭く迫ったサクラローレルに交わされると、一瞬で2馬身半の差をつけられ2着に完敗。
マヤノトップガンは5着に終わった。

その後は、復権を賭けて春のグランプリ・宝塚記念に参戦。サクラローレルの回避、ナリタブライアンも故障を発生し、手薄なメンバー構成となった。単勝2.0倍の圧倒的1番人気に推されると、レースは横綱相撲で押し切り、2着サンデーブランチに1馬身半差をつけ快勝した。

秋はオールカマーで始動。
春に敗れたサクラローレルも出走し、ここでもマヤノトップガン1.8倍、サクラローレル1.9倍と2強の様相となった。しかし、不得手な重馬場だったこともあり、終始リズムに乗れなかったマヤノトップガンはサクラローレルが無難に勝利を収める中、0.9秒離された4着に敗退してしまう。

その後は天皇賞(秋)に出走。サクラローレル、マーベラスサンデー、バブルガムフェローを加えた4強の1角だったが、トップガンはその中では評価が低い4番人気だった。
レースでは好位から直線もしぶとく伸びてきたものの、抜け出した4歳馬バブルガムフェローを1/2馬身差捕らえられずに2着に終わる。

連覇を狙った有馬記念では昨年の実績もあり、サクラローレルに次ぐ2番人気に推されたが、2番手から直線で脚を失うと、1.5秒差の7着に敗れ、消化不良の5歳シーズンを終えた。

6歳になると、昨年同様、阪神大賞典で始動。このレースではこれまでの好位抜け出しのレースとは違い、最後方からのレースとなった。4角手前で一気にまくると、直線では余裕の手応えで後続を突き放し、2着ビッグシンボルに3馬身半差をつけ完勝。これまでのマヤノトップガンとは違った一面を見せた。

続く天皇賞(春)には昨年敗れたサクラローレルに、暮れの有馬記念で2着だったマーベラスサンデーが出走。3強を形成した。
トップガンは阪神大賞典と同じように後方からレースを進めた。休み明けだったサクラローレルが早めに進出すると、マーベラスサンデーが競りかけるように上がっていく。
そのままいったんはサクラローレルが抜け出したが、大外をついてマヤノトップガンが急襲。上がり3F34.2秒の末脚で一気に差し切った。
勝ちタイム3.17.1は当時の世界レコード。

G1・4勝目を挙げたマヤノトップガンは秋の目標をジャパンカップに置き、京都大賞典で始動予定だったが、屈腱炎を発症。そのまま現役引退・種牡馬入りが決まった。

■引退後
引退後は、7億2000万円のシンジケートが組まれ、優駿スタリオンステーションで種牡馬入り。
ブライアンズタイムの後継種牡馬として期待を集めた。
芝・ダート問わず、コンスタントに活躍馬を輩出しており、2010年度こそ86頭に留まったが、それまでは100頭を超える種付け数をこなす人気となっている。
初年度産駒のデビューは2001年で、クラシックでの活躍こそなかったものの、プリサイスマシーンが中日新聞杯2勝など重賞4勝、バンブーユベントスが日経新春杯勝ちなど古馬になってから活躍を見せる馬が出た。
その後もチャクラ(ステイヤーズS、目黒記念)、メイショウトウコン(東海Sなど重賞5勝)、トップガンジョー(エプソムC、新潟記念)、ホッコーパドゥシャ(新潟記念)などの重賞ウイナーを輩出している。
ブライアンズタイムの後継としてはタニノギムレットに次ぐ成績と言える。
また、チャクラはマヤノトップガン後継種牡馬として、09年から種牡馬入りを果たしている。