週刊あの馬は今!?


第6回:ミラクルアドマイヤ
■牡 1995/3/3生れ
■血統
父トニービン
母バレークイーン
半兄フサイチコンコルド(父カーリアン)
96年ダービー1着
半弟ボーンキング(父サンデーサイレンス)
01年京成杯1着
半弟アンライバルド(父ネオユニヴァース)
09年皐月賞1着

■戦績
98年3月/阪神未出走:1着
99年7月/函館500万下:5着
00年8月/札幌500万下:13着
通算:3戦1勝
2つ上の兄にデビュー3戦目でダービーを制し、和製ラムタラの異名を取ったフサイチコンコルドを持ち、デビュー当初から話題を集めた。
最初は「ベストアドマイヤ」だったが、デビューがずれ込み「ミラクルアドマイヤ」へ改名。
デビューは3月と遅れるも武豊騎手を背に1番人気に応え優勝。兄フサイチコンコルドも管理した小林稔調教師も3月デビューながら、「ダービーに行く馬。大事に乗ってくれ」とデビュー戦の前にジョッキーに言ったほど。
その豊かな将来性を期待されたが、その後は脚部不安による1年以上の休養に。復帰戦は期待の高さもあり、1年3ヶ月ぶりの出走ながら1番人気に推される。しかしさすがに長い休み明けで5着まで。一叩きされた札幌戦でも2番人気に推されるがここを13着と大敗。長期休養したものの脚元の具合はよくなく、この3戦のみで現役生活を終える。

■引退後
1勝馬であり、普通であれば種牡馬になることは難しいが、その血統背景が買われ00年から社台スタリオンステーション荻伏で繋養される。良血ながら、競走成績は単なる1勝馬。それほど高い評価を受けていなかった。初年度こそ39頭を集めたが、徐々に減少。03年の種付けはたったの1頭のみとなってしまい、実質アテ馬としての繋養だった。
だが、少ない産駒の中からカンパニーが出た。新馬戦を勝利すると、きさらぎ賞で7着。3戦目の500万特別を勝利すると続くオープン特別、ベンジャミンSと連勝。皐月賞、ダービーには出走できなかったが、続くラジオたんぱ賞(今のラジオNIKKEI賞)2着など活躍を見せた。さらにJRAデビューの10頭中6頭が勝ち上がるという驚異的な勝ち上がり率もあり評価が一変した。
この活躍ぶりが評価され、03年1頭だった種付け頭数は04年に171頭に急増した。この年にブリーダーズスタリオンステーションに移動していた。しかし、その2005年度産駒から活躍馬を送り出すことができず、再び評価が急落。
07年の種付けシーズン終了後に日高軽種馬協会門別種馬場に移動。08年の種付け頭数は10頭にまで落ち込んだ。
そして、この年を最後に種牡馬を引退し、ノーザンホースパークへ移動した。
去勢され、乗馬として繋養されることとなったが、その後に腰を痛めたために乗馬になれず、09年8月に廃用。現在は転売不明となっている。
なお、廃用となった数ヵ月後に産駒のカンパニーが天皇賞・秋、マイルCSとG1を連勝。廃用があと数ヶ月遅れていれば再度種牡馬に、、、もしくは行方不明にならずに済んでいたのかもしれない。