第129回ナリタタイシン
■牡 1990/6/10生れ
■血統
父リヴリア
母タイシンリリィ(ラディガ)
大久保正厩舎
■戦績
92年7月:新馬戦/横山典/6着
92年10月:未勝利/清水英次/1着
92年10月:きんもくせい特別/内山正博/6着
92年11月:福島2歳S/清水英次/2着
92年12月:千両賞/清水英次/2着
92年12月:ラジオたんぱ杯3歳S/清水英次/1着
93年1月:シンザン記念/清水英次/2着
93年3月:弥生賞/武豊/2着
93年4月:皐月賞/武豊/1着
93年5月:ダービー/武豊/3着
93年7月:高松宮杯/武豊/2着
93年11月:菊花賞/武豊/17着
94年2月:目黒記念/武豊/1着
94年4月:天皇賞・春/武豊/2着
95年6月:宝塚記念/山田泰誠/16着
通算15戦4勝(重賞3勝)
※馬齢は旧表記です。
デビューは3歳7月の札幌。馬体重422キロと小柄な馬体ながらも、1番人気。レースは好位を追走するもマイネルロカビリーの6着に敗れた。
一息入れられた2戦目の未勝利戦は馬体重もプラス12キロと増やしての出走であった。5頭立てと小頭数でのレースとなり清水騎手へと乗り替った。中団に待機し、末脚を温存すると、直線一気に伸び、2着エーピーアイアンに1.3/4馬身差をつけ差し切り勝ち。2戦目で初勝利を挙げた。
その後は500万下・きんもくせい特別、OP特別・福島3歳S、500万下・千両賞と勝ち切れないレースが続いた。
しかし、初戦の横山騎手、3戦目の内山騎手を除く3戦は清水騎手が騎乗し、いずれも末脚を活かす競馬で上がり3Fメンバー最速を記録していた。
その清水騎手の徹底した教育もあり、ナリタタイシンの追い込み馬としてのスタイルが確立したのが次走、ラジオたんぱ杯3歳Sであった。
これまでの戦績からも仕方のないことだが、5番人気と人気はあまりなかった。
スタート後は最後方に位置し4角でも中盤の後ろに控えて直線にかけると、先に抜け出した2番人気マルカツオウジャに1/2馬身差をつけ差し切り勝ち。重賞初勝利を挙げた。
4歳となったナリタタイシン。使い詰めで来ていたが、1月のシンザン記念で早くも始動することとなった。
前走で重賞を制していたもののこのレースでは3番人気に留まった。レースはこれまで同様後方から進め直線勝負。上がり最速で追い込んだもののアンバーライオンに1/2馬身差届かず2着に惜敗した。
その後は皐月賞の前哨戦・弥生賞へと向かった。これまでナリタタイシンに追い込み馬としてのスタイルを教え込んできた清水騎手だったが、この年はクラシックでのお手馬がいなかった武豊騎手へと乗り替りとなった。
1番人気は3連勝中のウイニングチケットでナリタタイシンは差のない2番人気で続いた。
乗り替り初戦となった武豊騎手だったがこれまでのスタイル同様に後方からのレースを選択する。しかし、柴田政人騎手騎乗のウイニングチケットはそのナリタタイシンよりさらに後ろからのレースであった。ウイニングチケットがまくり気味に進出するとナリタタイシンも連れて上がっていく。しかし開いた差は詰まることなく結局2馬身差をつけられ2着に敗れてしまった。
鋭い末脚が武器のナリタタイシンだったがこのレースでのウイニングチケットはそれをも凌駕していた。
弥生賞での完敗もあり勝負付けが済んだかに思われた皐月賞。ウイニングチケットが2.0倍の1番人気に支持され、ビワハヤヒデが3.5倍で続いた。ナリタタイシンは3番人気であったが9.2倍と離れた人気であった。
ライバル2頭が中団から前目でレースを進めたが、ナリタタイシンはこの日も後方から。序盤は最後方で末脚を溜める作戦だった。直線に向きビワハヤヒデが出たところを外からウイニングチケットが差を詰め、4番人気のシクレノンシェリフがしぶとく粘る展開でゴールが近づいてくる。そこへ4角でも後方で脚を温存していたナリタタイシンが直線一気に伸び、ゴール前でビワハヤヒデを捕らえるとクビ差差し切って優勝。クラシック1冠を見事制した。
前哨戦でウイニングチケットに連れて動いてしまい最後の溜がきかなかったが、本番では最後まで自分の型に徹底し最大限にナリタタイシンの末脚を引き出した武豊騎手の好騎乗であった。
続くレースは日本ダービー。ここも3番人気ではあったが、ウイニングチケット3.6倍、ビワハヤヒデ3.9倍、ナリタタイシン4.0倍と皐月賞の2強ムードとは異なり3強ムードであった。
いつも通り後方からレースを進めたナリタタイシン。直線に向きメンバー最速の上がりで伸びたものの前を行く2頭との差がなかなか縮まらない。結局ウイニングチケット、ビワハヤヒデから1/2+1.1/4馬身差の3着に終わりダービー制覇はならなかった。
その後ライバルが休養をとる中、当時G2・芝2000mの高松宮杯へと出走する。
単勝2.2倍の1番人気だったが、逃げたロンシャンボーイを1.1/2馬身差捕らえ切れず2着に敗れた。
その後は菊花賞を目指し、京都新聞杯で始動予定だったが、運動誘発性肺出血を発症し本番へぶっつけで挑むことになった。
それでも3番人気に推されたが後方のまま全くいいところなく勝ち馬ビワハヤヒデから9.4秒も離された大差の17着に大敗した。
その後は休養し、復帰は5歳2月の目黒記念となった。同期のステージチャンプが1番人気でナリタタイシンは2番人気。いつも通り後方からレースを進め直線を向くと、豪快に末脚を伸ばし、2着ダンシングサーパスをアタマ差差し切って優勝。皐月賞以来の勝利を挙げた。
その後は天皇賞・春へ。菊花賞を制したビワハヤヒデが単勝1.3倍の圧倒的支持を集め、距離に不安のあったナリタタイシンが2番人気で続いた。後方からメンバー最速の上がりで追い込んではきたものの、ビワハヤヒデを捕らえることはできず1.1/4馬身差の2着。それでも他の馬には先着を許さず、G1馬の意地は見せた。
その後は骨折、屈腱炎と故障を連発し長期の休養を余儀なくされた。
復帰までには1年2ヶ月を要し、復帰戦は6歳の宝塚記念となった。いつも通り後方からのレースだったが、直線はまったく伸びず16着に大敗。
結局このレースを最後に現役を引退することが決まった。
■引退後
現役引退後は種牡馬入り。
ナリタタイシンの父リヴリアが早世したため後継としての期待が集まったが、小柄なナリタタイシンは繁殖集めに苦労する。
種牡馬入りした当初は40~50頭ほどの繁殖を集めたが活躍馬が現れず徐々に減少。
産駒もまったく走らず、中央ではガーネットシチー、サーストンガールの2頭が2勝を挙げたのみ。勝ち星を挙げたものその2頭を含めたったの6頭であった。
結局2002年にサーストンガールが勝利を挙げてからは1勝も挙げられずナリタタイシン自体も2003年に種牡馬を引退した。
種牡馬引退後は日高町のベーシカル・コーチング・スクールで余生を送っている。
2013.4.9
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