■牡 1997/5/2生れ
■血統
父サクラチトセオー
母レインボーパーク
■戦績
99年9月/阪神新馬戦:1着
99年10月/野路菊S:1着
99年10月/デイリー杯3歳S:2着
99年12月/朝日杯3歳S:7着
99年12月/ラジオたんぱ杯3歳S:1着
00年2月/共同通信杯4歳S:7着
00年3月/弥生賞:3着
00年4月/皐月賞:中止
※馬齢は当時の表記です。
阪神ダート1200mのデビュー戦を3番人気で快勝すると、2戦目のオープン特別野路菊Sも4番人気ながら1着。3戦目からは人気を背負う立場に。
初重賞挑戦となったデイリー杯3歳Sで2番人気2着すると、4戦目にはG1・朝日杯3歳Sへと進む。デイリー杯で敗れた地方馬レジェンドハンターに次ぐ2番人気に推されるも7着に敗退。勝ったのは後に香港G1・クイーンエリザベスCを2連覇するエイシンプレストンだった。
そこで年内は終わりかと思われたが、余勢をかい、中1週でラジオたんぱ杯3歳Sへ挑戦。ここでも2番人気に推されると、2着のオースミコンドルに1/2馬身差をつけ重賞初制覇を遂げる。
年明けは共同通信杯から始動。1番人気は朝日杯3着の武豊騎乗マチカネホクシンに譲り2番人気。
スタートで大きく出遅れると、競馬にならず、7着に敗退。
それでも続く弥生賞では田原厩舎所属馬として話題を集めたフサイチゼノンに次ぐ2番人気。今度はゲートも普通に発馬。後方から追い込み3着と、皐月賞への優先出走権を得る。
そして運命の皐月賞。
ゲートに難のある同馬にとって1枠1番を引いたことで予兆はあった。ゲートに収まるまでは良かった。大外枠のマイネルコンドルが最後のゲートインをし、スタートを待つほんの数秒がラガーレグルスにとっては競走馬としての運命を決定付ける。スタートが切られると同時にゲート内で大きく立ち上がり、競走中止。ゲートを出ることなくレースを終えた。
よく見ると、スタートの合図があるのとほぼ同時かそれよりも少し前からゲート内でチャカついていた。
「ゲートを出ていないのだから、競走中止ではなく、出走取消だ」との意見も多かった。今回は競走中止となったが、出走取消であれば、馬券は返還される。ファンにしてみれば同じようで大きな違いだ。
その後はダービーを目指すべく、ゲート審査を受けることに。これまでの出遅れ癖から2度の審査をパスしなければならない厳しいものだった。
そして、京都競馬場で行われた1度目のゲート審査。ここは無事クリアし、ダービーの行われる東京競馬場で2度目の審査に挑む。
土曜日のお昼休みに東京競馬場正面スタンド前を使って行われた試験。ここで2回発馬をし、問題がなければ無事ダービーへと駒を進められる。
1回目は両脇に馬を2頭づつ置いてのスタート。問題なく発馬しほっと一息。
2回目は最内枠に入れられてのスタート。ゲート内に収まる。
そこに・・・。
一部の心無いファンによる嫌がらせ。持っていた傘を柵に叩き付け大声で野次を飛ばす。
必至になだめる佐藤哲騎手。
その嫌がらせにラガーレグルスは耐え切ることが出来ずにゲート内で立ち上がってしまう。
馬は敏感な動物だ。こんなことをされたらラガーレグルスでなくとも合格していたかどうかは分からない。
この後、振り落とされた鞍上の佐藤騎手に向かって、「ざまーみろ」との罵声を浴びせた観客に向かい、同騎手がスタンドに詰め寄る展開に。職員により佐藤騎手は取り押さえられたが、その観客はその場にいた他のファンによって殴られる展開になった。
本当のところは分からないが、罵声を浴びせた観客からすれば、馬券を買う以上は発馬もできないような馬に出て欲しくない、という思いもあるのだろう。
しかし、そんなことは馬には関係ないのだが。
そうしてラガーレグルスのクラシックは終わる。
その後は、札幌記念に目標を切り替え、ゲート試験に臨もうとするも、ゲート練習中に右前脚に外傷を負い回避。
悪いことは重なり、その後、屈腱炎を発症し、全治1年以上の診断。協議の結果、そのまま引退する運びになった。
引退後は、2001年から名馬のふるさとステーションで種牡馬入り。しかし種付け頭数に恵まれず、活躍馬を輩出することはできなかった。
そして、2005年12月、転売。行方が知れなくなっている。
■産駒
2008年11月9日福島5R(ダート1700)の3歳上500万下でラガーチトセオーが出走。4番人気1着で同馬産駒のJRA初勝利を挙げた。ラガーチトセオーは6月20日現在、地方競馬に在籍しており、中央地方合わせて通算55戦をし、4勝を挙げている。