■牡 2004/9/29生れ
■血統
父RedRansom
母FairyLight
半兄ローマンチャリオット(ニュージーランドダービー2着)
■戦績
07年3月:阪神/新馬戦:1着
07年6月:中京/マカオJCT:1着
07年7月;福島/ラジオNIKKEI賞:1着
07年9月:中山/セントライト記念:1着
07年10月:京都/菊花賞:3着
07年12月:中山/有馬記念:4着
08年6月:東京/目黒記念:3着
08年6月:阪神/宝塚記念:12着
通算:8戦4勝(重賞2勝)
ニュージーランド生産の外国産馬。
06年にシドニーで開催されたイースター・イヤリングセールで吉田勝己氏が13万豪ドル(約1270万円)で購入。日本に輸入された。
馬は通常春に出産・繁殖の時期を迎える。そのため、南半球の生産は日本よりも半年遅れ、ロックドゥカンブは遅生まれの不利があった。
デビューは年を明けて3月だったが、他の馬が丸丸3歳になろうかという時期に、同馬は2歳半くらいに該当したことになる。成長著しいこの時期の半年のハンデは大きかった。そのため、JRAでは南半球産馬には負担重量を軽減する規定を設けている。
同じ南半球産馬に今年の高松宮記念で7歳にしてG1初制覇を飾ったキンシャサノキセキがいる。同馬も高い素質で3歳春から活躍したが、遅生まれのハンデもあり、本格化したのは古馬になってからだった。
07年3月のデビュー戦では安藤勝騎手を背に、1番人気に推されると、後のエリザベス女王杯馬クィーンスプマンテ以下を抑えて優勝。見事デビュー戦を制した。
続く500万特別も制すと、3戦目ではラジオNIKKEI賞で早くも重賞初挑戦を迎える。
鞍上は柴山騎手に乗り替わり、ここでも1番人気に支持される。レースは早め先頭から危なげない展開で後のジャパンカップ馬スクリーンヒーローに1.1/2馬身差をつけ優勝。デビュー3連勝で重賞初Vを決めた。
その後は、豪・フレミントン競馬場で行われるヴィクトリアダービーに登録を行ったが、その年流行した馬インフルエンザの影響により遠征を断念。秋の目標を菊花賞に置いた。
前哨戦はセントライト記念に決定。鞍上は藤田騎手へと乗り替わる予定だったが、直前の怪我により騎乗できず、急遽柴山騎手が手綱を引き続きとることになった。
怪魚う
早めの競馬から危なげないレースで2着ゴールデンダリアに1.1/4馬身差をつけ快勝。重賞2連勝とした。
重賞2連勝を含むデビュー4連勝で注目を集めると、菊花賞では1番人気に支持される。レースはこれまでの先団からではなく、後方からの競馬になり、上がり最速の35.4秒を使うも勝ったアサクサキングス、2着アルナスラインからアタマ+1.1/2馬身差の3着に敗れ、初黒星を喫す。
暮れにはスポットでマイケル・キネーン騎手を呼び寄せ有馬記念に出走。メイショウサムソン、ウオッカらの実力馬がいる中、4番人気に支持される。
レースは中団からとなり直線インを突いて伸びたが、先行したマツリダゴッホ、ダイワスカーレット、ダイワメジャーには届かず4着に敗れた。
放牧を経て復帰戦は明け4歳の目黒記念。岩田騎手を新パートナーに迎えると、同期の菊花賞2着馬アルナスラインに次ぐ2番人気の支持を集めた。5ヶ月ぶりのレースとなったが、2,3番手を追走。それでも直線は息切れし、ホクトスルタン、アルナスラインに及ばず3着。
その後、ファン投票10位に選出され、宝塚記念に出走。結果次第で予備登録を行ったキングジョージへの出走も検討されるなど期待のかかる1戦で2番人気に支持される。
逃げたエイシンデピュティの2番手を追走し、直線を迎えるも失速し、12着に大敗。ゴール直後に岩田騎手が下馬。検査の結果、左後繋靱帯断裂の診断が下りる。
重度の怪我で治療が続けられたが、復帰の見通しが立たず、7月25日付で競走馬登録を抹消される。
■引退後
引退後は繋養先未定で種牡馬になることが発表された。
怪我が重度であったため、治療が長引き、しばらく消息が断たれたが、2010年5月にニュージーランドのオークススタッドで種牡馬入りしたことが発表された。