■牡 1993/03/24生れ
■血統
父サンデーサイレンス
母パワフルレディ
半兄ウイニングチケット(93年ダービー1着)
■戦績
95年12月:阪神/新馬戦:1着
95年12月:阪神/ラジオたんぱ杯3歳S:1着
96年2月:京都/きさらぎ賞:1着
96年3月:中山/若葉S:2着
96年4月:中山/皐月賞:4着
96年6月:東京/ダービー:6着
96年8月:函館/函館記念:6着
96年10月:京都/京都新聞杯:3着
96年11月:京都/菊花賞:2着
96年12月:中山/有馬記念:4着
97年2月:京都/京都記念:2着
97年3月:阪神/大阪杯:3着
97年4月:京都/天皇賞・春:中止
97年10月:東京/天皇賞・秋:4着
97年11月:東京/ジャパンC:11着
通算:15戦3勝(重賞2勝)
※馬齢は当時の表記です。
3つ上の半兄にダービー馬ウイニングチケットを持つ良血で、SS産駒2世代目をダンスインザダーク、バブルガムフェロー、イシノサンデーとともにSS産駒四天王として活躍した。
デビューは暮れの阪神、芝2000m戦で武豊騎手が騎乗。良血ということもあり、単勝2.0倍の1番人気に推される。レースは先団から上がり34秒台を使い2着馬に3/4馬身差をつける危なげない勝利であった。
2戦目のラジオNIKKEI杯では1番人気イシノサンデー、2番人気ロイヤルタッチ、3番人気ダンスインザダークとSS産駒3頭に注目が集まった。武豊騎手がダンスインザダークに騎乗したため、鞍上にはペリエ騎手が迎えられた。
人気はキャリアの豊富なイシノサンデーに譲ったものの、レースではイシノサンデーをきっちりアタマ差捕らえて差し切り勝ち。ダンスインザダークはさらに3.1/2馬身差離された3着だった。
その2週前の朝日杯3歳Sを勝ったバブルガムフェローとともにSS産駒四天王としてクラシックでの注目度が上がった。
4歳初戦はきさらぎ賞。ここでもダンスインザダークが出走してきたが、単勝1.7倍の1番人気に推されると、同馬との一騎打ちをクビ差制して無傷の3連勝。クラシックの本命候補に躍り出た。
一方で、ラジオたんぱ杯で3馬身以上あった差がクビ差まで縮まったことで、もともと晩成の評価を受けていたダンスインザダークの評価も上がっていた。
きさらぎ賞を勝ち、皐月賞ステップレースの若葉Sでは勝ち方が注目されるレースだったが、不良馬場の影響もあってミナモトマリノスに完敗してしまう。
これによりクラシック路線は混沌。さらに弥生賞を勝って評価を上げたダンスインザダークが熱発により回避、さらには2歳王者でスプリングSを順当に勝ったバブルガムフェローが骨折により回避となったことで、結局皐月賞ではロイヤルタッチが押し出される形で1番人気になった。
騎乗予定だった蛯名騎手が騎乗停止によりジョッキーが空白に。
一説では田原騎手に騎乗依頼があったものの、伊藤雄二調教師との関係性が微妙だったこともあり、騎乗しなかったとの話もある。
結局、皐月賞では南井騎手に乗り替わり、中団からレースを進めるも同じくSS産駒のイシノサンデーに競り負け2着に終わる。
兄弟制覇を狙ったダービーはダンスインザダークに次ぐ2番人気に推されるも、フサイチコンコルドの末脚に屈し4着に敗退。デビュー以来始めて連対を外した。
夏場も休まず函館記念に参戦。岡部騎手に乗り替わったこのレースでは3歳馬ながら1番人気に推された。先団を追走したものの、直線は見せ場なく6着に敗れる。
続く菊花賞ステップの京都新聞杯でもダンスインザダークに完敗の3着。
ついに菊花賞では6番人気と評価を落とす。しかし積極的なレース運びからいったん先頭を窺うも、ダンスインザダークの驚異の末脚33.8の前に1/2馬身差及ばず2着に敗れ、クラシックは2着、4着、2着ともう一つのところでタイトルを逃した。
有馬記念では3歳馬で天皇賞・秋を制したバブルガムフェローがJCでの凡走もあり回避、菊花賞を制したダンスインザダークが屈腱炎を発症し引退、イシノサンデーはダート路線を進み回避したため、クラシック組では唯一の参戦となった。
6番人気だったが、サクラローレル、マーベラスサンデー、マヤノトップガンらの協力古馬陣に及ばず4着。
古馬になると、京都記念では1番人気に推されるもユウトウセイの2着、続く大阪杯ではマーベラスサンデー、ユウトウセイの3着と勝ち切れない競馬が続く。
その後出走した天皇賞・春ではレース中に跛行を発症し、競走中止となり、春シーズンを終える。
秋は天皇賞にぶっつけで挑むも、同厩のエアグルーヴ、連覇を狙った同期のバブルガムフェローに及ばず、4着に敗れる。
次走のジャパンカップでは11着に大敗。放牧に出され、復帰を目指したが、結局そのまま引退し、JCが最後のレースとなった。
■引退後
G1勝ちこそなかったものの、血統背景から引退後はアロースタッドで種牡馬入り。当初は良血を買われ、年間100頭以上の種付けをこなしたものの、フジキセキやダンスインザダークなどライバルとなるSS系種牡馬が多く、徐々に種付け頭数を減らしていく。
種付け数も激減し、種牡馬引退のピンチの中、06年クラシック組に牝馬・アサヒライジングが出る。
アネモネSを勝ち、桜花賞4着、オークス3着と好走し、夏場には渡米しアメリカンオークス(米G1)に挑戦し、2着に健闘する。その後も秋華賞2着、エリザベス女王杯4着、ヴィクトリアマイル2着などあと一歩のところでG1タイトルには手が届かなかったが、クイーンステークスを勝ち、産駒の重賞初制覇となった。
アサヒライジングの活躍でなんとか種牡馬引退の危機は乗り切ったが、その後目立った活躍馬が出ず、種付け数は低迷している。
2009年の種付け料は受胎条件10万円、産駒誕生後20万円となっている。
08年生まれにはアサヒライジングの全弟となるアサヒマーキュリーの08もおり、少ない産駒からの活躍馬の出現が期待される。