週刊あの馬は今!?


第18回:サクラローレル
■牡 1991/05/08生れ
■血統
父レインボークエスト
母ローラローラ(SaintCyrien)

■戦績
94年1月:中山/新馬戦:9着
94年1月:中山/新馬戦:3着
94年1月:東京/未勝利戦:1着
94年2月:東京/春菜賞:6着
94年3月:中山/500万下:2着
94年3月:中山/500万下:1着
94年4月:東京/青葉賞:3着
94年9月:新潟/佐渡S:3着
94年:9月:中山/セントライト記念:8着
94年:10月:東京/六社特別:2着
94年10月:東京/秋興特別:2着
94年11月:京都/比良山特別:1着
94年12月:中山/冬至S:1着
95年1月:中山/金杯:1着
96年2月:東京/目黒記念:2着
96年3月:中山/中山記念:1着
96年4月:京都/天皇賞・春:1着
96年9月:中山/オールカマー:1着
96年10月:東京/天皇賞・秋:3着
96年12月:中山/有馬記念:1着
97年4月:京都/天皇賞・春:2着
97年9月:仏/フォア賞:8着

通算:22戦9勝(重賞5勝)
馬齢は当時の表記です。

当時から体質の弱かったサクラローレルは強い調教を施すと骨膜炎を発症するなど、調整が進まず、デビューは年明けの1月となった。
世界的血統背景もあり、単勝1.8倍の圧倒的人気に支持されるが、大きく出遅れてまったく競馬にならず9着に惨敗する。折り返しの新馬戦でも勝利を挙げることはできず、初勝利は3戦目のダート戦だった。

皐月賞出走をかけて自己条件戦を2戦するも勝ち上がれず、2勝目を挙げたのは3月も下旬のことだった。
この世代には同じサクラの馬主が弥生賞を勝ったサクラエイコウオー、2勝馬サクラスーパーオーの2頭を皐月賞に送り込んだ。特にスーパーオーは非常にいい脚で直線を伸びる競馬を見せた。しかし、この世代には化け物が一頭いた。理想的な競馬をしたスーパーオーの遥か前にいたのがナリタブライアンである。
圧倒的な力を示したナリタブライアンにダービーで挑戦状を叩きつけるべく、出走した青葉賞では3着に入り、優先出走腱を獲得する。
しかし、ようやく手に入れたダービーの切符だったが、球節炎を発症し、ダービー出走を断念することになる。

その後は最後の1冠、菊花賞を目指し、再スタートを切ることになる。
自己条件に戻った佐渡Sでは大きく出遅れ3着。
セントライト記念では重馬場に脚をとられ8着に惨敗する。
その後も900万特別を2戦して2着の惜敗。
3勝目を挙げたのは11月になってからのことであった。
次走の準オープンも制すと、勢いに乗って挑戦した中山金杯ではゴールデンアイを差し切り3連勝での重賞初制覇を遂げた。
ようやくナリタブライアンの背中が見えてきた瞬間である。

しかし、続く目黒記念では先の相手を見るあまり、積極的な競馬をし過ぎ、ハギノリアルキングに脚元をすくわれ2着に敗れる。

それでも、圧倒的な強さを誇ったナリタブライアンが天皇賞・春を前に故障リタイアし、混戦模様の天皇賞において、ローレルは中心の1頭に違いは無かった。

ようやく素質馬が花開きかけたその時、悲運が待ち受けていた。
天皇賞・春を前に行った追い切り後に骨折を発症。競走能力喪失という重度の骨折であったが、陣営は引退させることなく、復帰を待った。

長期休養に入ることになったが、陣営の努力もあり、無事骨折箇所は完治。
1年1ヶ月ぶりにターフに帰ってきた。
復帰戦は中山記念。1年以上の休養明けということもあり、9番人気とここを叩いてからという評価が大半だった。しかし、レースでは1番人気ジェニュインを直線捕らえると、ただ1頭上がり34秒台の脚を使い差し切った。
皐月賞馬を相手にしなかったレース振りから次走の天皇賞・春でのG1制覇の期待が高まった。
強烈な印象を残した中山記念だったが、天皇賞での人気は3番人気に留まった。
やはり怪我から復帰した同期のナリタブライアンと、1つ下のマヤノトップガンの一騎打ちの様相を呈していたためである。
トップガンが早めに動いていくと、ナリタブライアンが連れて上がっていく。前哨戦の阪神大賞典同様の一騎打ちになるかと思われたが、トップガンが伸びない。
そのままずるずると後退すると、ナリタブライアンが抜け出した。
そこへ外から素晴らしい脚色で追い込んできたのがサクラローレルだった。直線途中で交わすと、2.1/2馬身差をつける完勝だった。
G1初制覇を遂げたサクラローレルは夏場の施行となる宝塚記念を回避し、秋に備えることになった。

始動戦はオールカマー。マヤノトップガンとの再戦となり、2強一騎打ちのムードだった。
相手が重馬場で脚をとられる中、サクラローレルはまったく問題にせず、完勝。
天皇賞の春秋連覇に向けて好発進を切った。

天皇賞ではマヤノトップガンに加え、上り馬マーベラスサンデーに、4歳馬バブルガムフェローの参戦もあり、4強対決として注目を集めた。
単勝2.5倍の1番人気に支持されるが、直線前が壁になり抜け出すことが出来ず、バブルガムフェローの3着に敗退する。

その後はジャパンカップを見送り、有馬記念一本に備えた。
天皇賞でポカをした横山騎手であったが、有馬記念では好位から早めに抜け出す堂々とした競馬でマーベラスサンデーに2馬身半差をつけ優勝。G1・2勝目を挙げた。

天皇賞・春、有馬記念を制したローレルは96年の年度代表馬に選出された。

年を明けて7歳となっても現役を続行。
天皇賞のレース振り次第では海外遠征が検討されていた。ぶっつけで挑んだレースだったが直線いったんは抜け出す強い競馬。ゴール前でマヤノトップガンの強襲に合い、2着に惜敗するが力は示した。

そして、凱旋門賞挑戦が正式に発表され、武豊騎手を鞍上に向かえ海を渡ることになった。
前哨戦のフォワ賞から本番の凱旋門賞という青写真が描かれていた。
しかし、フォワ賞のレース中に右前脚に屈腱不全断裂を発症し、最下位の8着に敗れてしまう。

これにより目標の凱旋門賞に出走することは叶わずに現役生活にピリオドを打つこととなった。

■引退後
引退後は総額11億9000万円のシンジケートが組まれ、静内スタリオンステーヨンで種牡馬入り。
初年度産駒から2002年京成杯を勝ったローマンエンパイアを輩出した。
2年目の産駒からも2004年鳴尾記念など重賞3勝のサクラセンチュリーを出した。
繋養されていた静内スタリオンステーションの閉鎖に伴い、05年から09年まではアロースタッドで供用される。
その後も2004年ユニコーンSを制したロングプライドや2002年フローラSを勝ったシンコウルビーなどを出したが、09年には種付け頭数が10頭にまで落ち込んでしまった。
産駒の多くは、スタミナがあり、ダートでより力を発揮する馬が多かったことも種付け頭数に影響した。
そして、2010年にはアロースタッドから新和牧場で供用されている。