■牡 1995/04/26生れ
■血統
父シェリフズスター
母シスターミル(ミルジョージ)
■戦績
98年1月:中山/新馬戦:1着
98年1月:中山/ジュニアC:1着
98年3月:中山/弥生賞:2着
98年4月:中山/皐月賞:1着
98年6月:東京/ダービー:4着
98年10月:京都/京都大賞典:1着
98年11月:京都/菊花賞:1着
98年12月:中山/有馬記念:4着
99年3月:中山/日経賞:1着
99年5月:京都/天皇賞(春):3着
99年8月:札幌/札幌記念:1着
99年10月;東京/天皇賞(秋):5着
01年4月:京都/天皇賞(春):12着
通算:13戦7勝(重賞5勝)
馬齢は現在の表記です。
同期のスペシャルウィーク、キングヘイローとともに牡馬3強を形成し、皐月賞、菊花賞の2冠を制した。
前述の2頭が良血馬でありデビュー当時から注目を浴び続けるエリートだったが、セイウンスカイは育成段階からもそれほど目立つ動きを見せたわけでもなく、血統背景も父シェリフズスターは既に種牡馬を廃用になっていたとしてほとんど注目されていなかった。
※シェリフズスターは廃用後、消息不明と伝えられていたが、サラブレによると、廃用後も育成牧場に預けられていた。その後、草競馬への出走を目指したが、高齢の為叶わず、最終的に立つことができなくなり、死亡したようだ。
セイウンスカイは事実デビュー戦を徳吉騎手を背に5番人気という評価だった。レースではその評価を覆すように、積極的な競馬を見せ、後続に6馬身差をつけ圧勝した。
この勝利で、次走はオープン特別のジュニアCに挑戦。3番人気だったが、ここでもメガヒットに5馬身差をつける圧勝での逃げ切り。
一躍クラシックの有力候補に躍り出た。
続く皐月賞トライアル・弥生賞ではキングヘイロー、スペシャルウィークに続く3番人気に推された。いつものように先手を取ると、直線逃げ切り体制に入るが、ゴール寸前で測ったようにスペシャルウィークに差し切られ、半馬身差の2着に敗れる。それでも1番人気キングヘイローには4馬身の差をつけていた。
そして迎えた皐月賞。このレースから鞍上が横山典騎手にスイッチ。
スペシャルウィークに次ぐ2番人気に支持された。道中は落ち着いて2番手を追走。4角で先頭に立つと、抜群の抜け出しを見せ、差を詰めた3番人気キングヘイローを1/2馬身差抑えて逃げ切った。鞍上の横山騎手もクラシック初制覇だった。スペシャルウィークは後方から直線追い込むも、さらに1馬身差の3着だった。
皐月賞馬として挑んだ日本ダービーだったが、人気は3番人気だった。レースは福永騎手騎乗のキングヘイローがまさかの逃げを打つ展開となり、ペースを乱されたセイウンスカイは直線思ったほど脚が残っておらず、スペシャルウィークの4着に敗れる。
秋は京都大賞典から始動。3歳馬ながら古豪メジロブライトらを抑えての逃げ切り勝ちで菊花賞制覇へ向けて好発進を切った。
菊花賞ではダービー馬スペシャルウィークの2番人気で出走。いつものように先手を取る。1000m通過59秒代というハイペースだったが、中間の1000mでペースを落とし後続を引きつけると、ラスト1000mで再度ペースを上げる展開。単勝1.5倍のスペシャルウィークが必至に追い上げたが、3馬身半差をつけ逃げ切った。勝ち時計は当時の世界レコードとなる3分3秒2。
暮れには有馬記念に出走。1番人気に推されたが、いつもの粘り腰が見られず、グラスワンダーの復活Vの4着に敗退した。
古馬になると、始動戦の日経賞を快勝し、目標の天皇賞(春)へ好発進。
2番人気に推されたが、スペシャルウィーク、メジロブライトの2頭の一騎打ちの前に3着に敗れる。
夏場は札幌記念に出走。
ここでは、いつもの逃げではなく、意表をついた後方待機からの競馬。道中マクリ気味に進出すると、ファレノプシスに1/2馬身差をつけ優勝した。
続く天皇賞(秋)ではスペシャルウィークが精彩を欠いていたこともあり、セイウンスカイが1番人気に支持された。
レースは札幌記念同様、逃げではなく、中団からの競馬。しかし、ゲート入りを嫌がるなどのアクシデントもあり、5着に敗退。
さらにレース後には屈腱炎を発症し、長期休養に入る。
5歳時は休養し、復帰したのは6歳となった天皇賞(春)と1年半もの長期休養となった。
芦毛だったセイウンスカイだが、このレースでは毛色が真っ白になっていたほど。
さすがに長期休養だったこともあり、入れ込みが激しく、ハイペースで大逃げを打つも、3角手前で失速。勝ったテイエムオペラオーから16秒も離されたシンガリ負けを喫した。
その際、JRA職員がセイウンスカイがまだゴールしていなかったが、レースが終了したと勘違いし、コースに入ってしまったというハプニングもあった。
その後、再び脚部に異常が見られたため、現役を引退。8月に札幌競馬場で引退式が行われた。
■引退後
2002年からアロースタッドで種牡馬入り。
血統的背景の評価がそれほど高くないこともあり、種付け頭数は同期のスペシャルウィーク、キングヘイロー、グラスワンダーなどに比べると圧倒的に少ない状況。05年デビューの2歳馬は8頭が出走したものの、勝ち上がりなし。翌06年9月の2歳未勝利戦でニシノプライドが勝ち、中央初勝利となった。一時は障害用種牡馬としてアイルランドに輸出という話もあったが、ニシノプライドが4勝を挙げオープン入りまでしたことで日本での種牡馬生活を続ける見込み。ただ、そのニシノプライドもオープンでは勝ち上がれず、障害に転向。障害2戦目の未勝利戦でレース中に転倒し予後不良となってしまった。
桜花賞、スプリンターズSを制したニシノフラワーとの間に生まれたニシノミライに期待がかかったが、6戦して未勝利で引退、繁殖入りしている。
なお、07年から西山牧場へ移動しており、希望があれば種付けをするということで、事実上、種牡馬としてのリタイア状態となっている。