■牡 1996/1/20生れ
■血統
父A.P.Indy
母ゲーリックチューン(Danzing)
藤沢和雄厩舎
■戦績
98年11月:新馬戦/岡部/2着
98年11月:新馬戦/岡部/1着
98年12月:ひいらぎ賞/岡部/1着
99年4月:マーガレットS/横山典/1着
99年5月:NHKマイルC/横山典/1着
99年12月:有馬記念/横山典/14着
00年1月:東京新聞杯/横山典/9着
00年2月:フェブラリーS/横山典/9着
00年5月:京王杯SC/蛯名/5着
00年6月:安田記念/蛯名/10着
00年8月:札幌記念/青木/5着
00年9月:京成杯AH/岡部/1着
00年10月:スプリンターズS/岡部/14着
00年10月:スワンS/ロバーツ/2着
00年11月:マイルCS/ペリエ/11着
01年4月:ダービー卿CT/岡部/除外
通算15戦5勝(重賞2勝)
※馬齢は当時の表記です。
4連勝でNHKマイルCを制するところまでは順風満帆だったが、その後は7ヶ月ぶりのぶっつけ有馬記念、ダートG1参戦、京成杯AHで復活V後のスプリントG1参戦、そしてダービー卿CTでの悲劇で幕を閉じたシンボリインディ。
デビュー戦は11月東京マイル戦。岡部騎手鞍上で1番人気での出走だったが、スリリングサンデーにクビ差競り負け2着。
しかし、折り返しの新馬戦を単勝1.3倍の人気に応えてきっちりと勝ち上がった。
3戦目は500万特別ひいらぎ賞。好位追走から直線抜け出すと、サヤカをクビ差抑えて優勝。1番人気に応え2連勝とした。
明けて4歳となったシンボリインディ。外国産馬のため、クラシックへの出走権はなく、NHKマイルCを目標にされ、マーガレットSで始動した。
横山典騎手が騎乗し2番人気だったが、1番人気ビッグバイキングをクビ差抑えて優勝。3勝目を挙げた。
3連勝を決めたシンボリインディの次走はG1・NHKマイルCとなった。
3連勝中とはいえ前走がOP特別だったこともあり8.2倍の6番人気。ただ、この年のマイルCは人気が割れており、1番人気がエイシンキャメロンの4.8倍と混戦模様でもあった。
これまでの好位からのレースとは異なり、後方に位置したシンボリインディだったが、直線に入り一気に加速すると、メンバー最速の上がり3F35.1秒の末脚で伸び、2着ザカリヤに3/4馬身差をつけ差し切り勝ち。4連勝でG1制覇を遂げた。
その後は放牧に出され休養に入った。秋には米遠征計画もあったが、馬房で暴れて怪我を負い白紙に。年内は有馬記念を目標に調整された。
7ヶ月ぶりの実戦で一気の距離延長、初の古馬相手ということもあり苦戦必至だったが、未知の魅力もあり7番人気であった。
しかし、さすがに甘くはなく4角で早々と後退すると勝ち馬グラスワンダーから2.0秒離された最下位でのゴールとなった。
年が明け古馬となったシンボリインディ。始動戦は東京新聞杯となった。
実績のあるマイル戦に戻り単勝1.8倍の1番人気に支持された。
しかし中団で控えて直線を迎えるがまったくいいところなく9着に敗退。
その後は初のダート戦となったG1・フェブラリーSに参戦。
血統背景もあり5番人気に推されたがウイングアローの9着に終わった。
その後も不振は続き、京王杯SCを5着、安田記念も10着と適距離でも良いところなく敗れるレースが続いた。
安田記念で10着に惨敗した後は中距離に活路を求め札幌記念に出走したがダイワカーリアンの5着に敗れた。
秋になり、マーガレットS以来となる岡部騎手とのコンビで京成杯AHへと向かう。
単勝2.6倍の1番人気に支持されると、中団から直線しぶとく伸び、トロットスターをクビ差抑えて優勝。1年4ヶ月ぶりの勝利を挙げた。
復活の勝利を飾ったシンボリインディだが、その後は初のスプリント戦となるG1・スプリンターズSに出走。しかし、ペースに戸惑ったのか14着に惨敗する。
その後はスワンSで2着に好走し、マイルCSで3番人気で出走するも11着に惨敗する。
2001年となり6歳となったシンボリインディ。始動戦はダービー卿CTに決まった。
入れ込みが激しくゲートに収まってからも暴れる仕草を見せ、発走直前には激しく脚をゲートにぶつけ開放骨折を発症。地面に脚を着くこともできない姿がテレビでも放映されてしまった。
重症を負ったシンボリインディは予後不良の診断で、安楽死の処置がとられた。
シンボリ牧場にシンボリルドルフ以来14年ぶりにG1制覇をもたらしたシンボリインディ。G1制覇後は波乱の競走馬生活が続いたが、終焉もまた悲劇だった。
2012.9.3