■牡 1994/05/07生れ
■血統
父Woodman
母GrayTab
■戦績
96年10月:東京/新馬戦:1着
96年11月:東京/府中3歳S:5着
96年12月:中山/ひいらぎ賞:1着
97年1月:中山/京成杯:1着
97年3月:中山/クロッカスS:1着
97年6月:東京/安田記念:3着
97年10月:東京/毎日王冠:3着
97年11月:京都/マイルCS:12着
97年12月:中山/クリスマスS:4着
98年6月:東京/安田記念:12着
98年7月;新潟/朱鷺S:10着
98年10月:東京/オーロC:2着
98年11月:東京/富士S:9着
99年6月:東京/エプソムC:13着
99年7月:新潟/朱鷺S:5着
99年8月:新潟/関屋記念:3着
99年9月:中山/京成杯AH:5着
99年10月:阪神/セントウルS:10着
99年10月:東京/神無月S:6着
00年11月:京都/カシオペアS:6着
00年11月:東京/オーロC:11着
通算:21戦4勝(重賞1勝)
※馬齢は当時の表記です。
96年10月にデビュー。1番人気に推されると上がり33.9秒の末脚で一気に差し切り、2着に4馬身差をつける派手な勝ち方でデビュー戦を制した。
もちろん、1番人気に推された次走の府中3歳S(G3)だったが、展開不向きでゴッドスピードの5着に敗れる。その敗戦もあり、朝日杯3歳Sは自重し、自己条件のひいらぎ賞へ出走。
ここでも単勝1.5倍の圧倒的人気に推される。いつも通り後方からの競馬となるが、的場均騎手に手綱が戻ったこの一戦では展開不向きも関係なく、他馬とは次元の違う脚で後方からまとめて差し切った。
2着が逃げたダッシュゴージャス、3着、4着が2,3番手を追走したバリッドペニー、トキオリアリティーだったが、スピードワールドは4角10番手から差し切り、2馬身もの差をつけた。なお、このレースの5着には後の皐月賞、ダービーの2冠を制するサニーブライアンも3番人気で出走していた。
3戦目は年明けすぐの京成杯(G3・芝1600)。このレースが同馬にとって一番強い内容勝ち方であった。
やや出遅れ気味のスタートながらすぐに好位に取り付くと、馬なりで先頭に立ち、そのまま2着スルーオグリーン以下に6馬身差をつける圧勝劇だった。
その後はNHKマイルCに向け調整され、重賞3連勝中だったシーキングザパールとの対決が注目されたが、捻挫のため無念の回避となった。
これがケチのつけはじめ。4歳馬ながら挑んだ安田記念では的場騎手がオークスでのヤマニンザナドゥに騎乗し落馬負傷したため田原騎手へ乗り替わり。レースはいい流れで展開するも、直線前が壁になり、手応えはよいものの抜け出せずタイキブリザードの3着に終わる。
それでも4歳馬ながら古馬と差のない競馬を見せたことで、秋以降への期待が膨らむ敗戦でもあった。
休養を挟み、秋初戦は毎日王冠に出走。天皇賞・秋2連覇を狙うバブルガムフェローに人気は譲ったが、武豊騎手騎乗で注目されたジェニュインを上回る2番人気に推される。
レースは後方からの競馬となり、上がりメンバー中最速の34.7を使い、3着に食い込んだ。
続くマイルCSでは鞍上に武豊騎手を迎える。1番人気に推されるが、期待を大きく裏切り、12着に大敗。勝ったのは2番人気で同期のタイキシャトル。
不可解な敗戦だったこともあり、続けてオープン特別のクリスマスSに出走する。巻き返しを期待され、単勝1.4倍の1番人気に推されるが、ここでも4着に敗退する。
その後はツメの不安もあり、順調さを欠く。半年ぶりとなった安田記念では5番人気に推されるも不良馬場で12着。以降も勝ち星を挙げられず。
6歳になり、的場騎手に手綱が戻り、復活を期待されるも、人気を上回る着順はなく、結局、4歳時のクロッカスSが最後の勝利となった。
■引退後
00年オーロC11着を最後に引退。G1を勝つことはできなかったが、日高スタリオンステーションで種牡馬となる。
2001年の種付け頭数は47頭とまずまずであったが、その後は徐々に減少し、09年は7頭のみの種付けとなっている。
これといった活躍馬を輩出できていないが、ザシークレットは07年にデビューし、未勝利、500万、1000万を3連勝した。
2010年も出生条件30万円で種牡馬として供用されている。