第126回スギノハヤカゼ
■牡 1993/4/21生れ
■血統
父Diesis
母Chaleur(RougeSarg)
鹿戸幸治厩舎
■戦績
95年10月:新馬戦/芹沢/1着
95年10月:黄菊賞/田島/4着
95年12月:樅の木賞/田島/1着
96年1月:京成杯/田島/5着
96年2月:ヒヤシンスS/田島/1着
96年2月:アーリントンC/田島/1着
96年4月:NZT/田島/5着
96年5月:NHKマイルC/田島/5着
96年6月:中日スポーツ賞4歳S/田島/1着
96年9月:セントウルS/田島/3着
96年10月:スワンS/田島/1着
96年11月:マイルCS/田島/8着
96年12月:スプリンターズS/田島/5着
97年4月:ダービー卿CT/田島/6着
97年5月:京王杯SC/田島/6着
97年5月:高松宮記念/田島/4着
97年6月:安田記念/田島/13着
97年9月:セントウルS/南井/2着
97年10月:スワンS/武豊/2着
97年11月:マイルCS/田島/7着
97年11月:CBC賞/田島/1着
97年12月:スプリンターズS/田島/2着
98年4月:シルクロードS/田島/4着
98年5月:高松宮記念/田島/11着
98年6月:安田記念/田島/9着
00年2月:阪急杯/田島/4着
00年3月:高松宮記念/田島/6着
00年4月:マイラーズC/田島/15着
00年5月:京王杯SC/田島/18着
00年7月:函館スプリングS/田島/8着
00年9月:セントウルS/芹沢/3着
00年10月:スプリンターズS/芹沢/12着
00年11月:マイルCS/芹沢/18着
通算33戦7勝(重賞4勝)
※馬齢は旧表記です。
デビュー戦は95年10月の京都芝1400m。芹沢騎手鞍上で3番人気だったが、先手を奪うと1番人気スプリングエイトに1.3/4馬身差をつけ逃げ切り勝ち。
次走田島騎手に乗り替ったマイルの黄菊賞は1番人気4着に敗れたが続く樅の木賞では1200mへの距離短縮も好材料で後続に3馬身差をつけ快勝。2勝目を挙げた。
年が明けて4歳初戦はG3・京成杯(芝1600)。このレースから徐々に控える競馬をしていくことになる。4番手からレースを進めたが、直線伸びを欠き、勝ち馬サクラスピードオーから0.5秒差の5着に敗れた。
次走のヒヤシンスS(芝1400)は2番人気だったが2番手から直線抜け出し2着マイネルヒーローに3馬身差をつけ圧勝。オープン初Vとなった。
外国産馬のためクラシックへの出走権はなく、この年から新設されたNHKマイルCを春の目標に次走はアーリントンCへ進む。
シンザン記念を勝って参戦したゼネラリストが圧倒的1番人気でスギノハヤカゼは3番人気での出走だった。4,5番手からレースを進めると直線抜け出し2着メイショウジェニエに1.1/2馬身差をつけ優勝。2連勝で重賞初制覇を飾った。
その後は前哨戦ニュージーランドTへ。2番人気での出走だったが、快速牝馬ファビラスラフィンから0.9秒差の5着に敗れた。
続く本番、NHKマイルCは3番人気。中団追走から直線に向くが伸び切れず勝ち馬タイキフォーチュンから0.7秒差の5着に終わった。
休みなく使われていたスギノハヤカゼだったが、その後も中2週でG3・中日スポーツ賞4歳S(芝1200)へ進む。距離短縮が高評価を受け単勝1番人気に支持される。先団から直線伸びると、先を行ったスキーミュージックに1.1/4馬身差をつけ優勝。重賞2勝目を挙げた。
その後は一息入れられ秋は9月のスワンSで始動。古馬初対戦となったが、フジノマッケンオーの3着に好走。上々のスタートを切った。
次走のスワンSでは7番人気と評価は低かったが後方から上がり3Fメンバー最速の34.0秒で伸びると、ビコーペガサスをクビ差抑えて優勝。古馬を退け重賞3勝目を挙げた。
G1制覇への期待が高まったスギノハヤカゼ。その後はマイルCSからスプリンターズSでG1制覇をもくろんだ。
マイルCSはチャンピオン不在で混戦ムード。1番人気ジェニュインの単勝オッズは4.9倍。スギノハヤカゼは6.9倍の3番人気での出走だった。
5番手からレースを進め直線は横一線の大接戦となったが、最後は伸びを欠き勝ち馬ジェニュインから0.4秒差の8着に敗れた。
次走スプリンターズSはフラワーパーク、エイシンワシントンのペースについて行けず5着に終わった。
その後は休養をとり、古馬初戦は4月のダービー卿CT。重馬場も堪えロイヤルスズカの6着。
一叩きされた京王杯SCでは3番人気と支持を受けたが伸び切れずに6着。
その後はG1に挑むも高松宮記念4着、安田記念13着で春シーズンを終える。
夏場は休養し、秋は前年同様セントウルSで始動。南井騎手に乗り替り2着に好走すると、続くスワンSは武豊騎手とのコンビで2着と復活の兆しを見せた。
再度田島騎手に手綱が戻ったマイルCSは10番人気での出走。中団からレースを進めたが、1つ下の世代となるタイキシャトル、キョウエイマーチ、トーヨーレインボーらに遅れを取り7着に終わる。
G1を走った後だったが連闘でCBC賞に挑む。5番人気ながら直線抜群の伸びを見せ、2着エイシンバーリンに3馬身半差をつける圧勝で1年1ヶ月ぶりの勝利を挙げた。
勢いに乗って挑んだスプリンターズS。7番人気と評価は低かったが、中団から直線はメンバー最速の上がり3F34.5秒で追い込み勝ち馬タイキシャトルから1.3/4馬身差の2着に好走した。
6歳シーズンはシルクロードSで始動。シーキングザパールから0.3秒差の4着とまずまずの内容で終えると,高松宮記念へ。3番人気とチャンスだったが、雨で不得手の稍重馬場に。中団から伸びを欠き11着に大敗してしまった。
続く安田記念も雨で不良馬場。後方からのレースとなり見せ場なく9着に終わった。
G1制覇を狙った春シーズンだったが天気に見放され不完全燃焼に終わった。
さらにはその後追い打ちをかけるかのように怪我で休養。復帰には1年8ヶ月を要した。
それでも1200mの阪急杯で4着に食い込むと、続くG1・高松宮記念では勝ち馬キングヘイローから0.2秒差の6着に入り意地を見せた。
しかしその後は年齢による衰えも見え始め、マイラーズCで15着に敗退すると、続く京王杯SCでは勝ち馬スティンガーから1.7秒も離された最下位18着と惨敗する。
その後は函館に遠征し函館スプリントSに出走するも8着。
次走のセントウルSではビハインドザマスクの0.1秒差3着に奮闘したが、スプリンターズS12着、マイルCS18着と惨敗が続いた。
その後脚部不安を発症し、翌年現役引退が決まった。
■引退後
現役引退後は種牡馬としてCBスタッドで供用されるも産駒を残すことができずに同年11月、疝痛のため死んだ。
デビューから33戦全てのレースが1600m以下という短距離馬。特に96年4歳時のスワンSでは京都1400mを1分19秒3という当時のレコードタイムで駆け抜けたように早い時計には強かったが道悪は苦手であった。
また1400m戦は【3・2・1・0・1・2】と掲示板を外したのは2度と相性がよかったため、1400mのスペシャリストとも呼ばれた。
なお、スギノハヤカゼの父Diesisは2006年11月に米・ミルリッジファームで死んでいる。
2013.2.18
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