週刊あの馬は今!?


第93回:タイキブリザード
■牡 1991/3/12生れ
■血統
父シアトルスルー
母ツリーオブノレッジ(Sassafras)
半兄Theatrical(ブリーダーズカップ・ターフなどG1・6勝)

藤沢和雄厩舎

■戦績
94年2月:東京/新馬戦:1着
94年3月:中山・500万下:1着
94年3月:阪神/毎日杯:2着
94年7月:福島/ラジオたんぱ賞:2着
94年7月:札幌/道新杯:4着
94年8月:札幌/函館記念:2着
94年10月:福島/福島民報杯:4着
95年4月:新潟/谷川岳S:1着
95年5月:東京/安田記念:3着
95年6月:京都/宝塚記念:2着
95年11月:東京/富士S:2着
95年11月:東京/ジャパンC:4着
95年12月:中山/有馬記念:2着
96年阪神/大阪杯:1着
96年5月:東京/京王杯SC:2着
96年6月:東京/安田記念:2着
96年10月:カナダ/BCクラシック:13着
97年5月:東京/京王杯SC:1着
97年6月:東京/安田記念:1着
97年7月:阪神/宝塚記念:4着
97年10月:米/オークツリーBCM:3着
97年11月:米/BCクラシック:6着
97年12月:中山/有馬記念:9着

通算23戦6勝(重賞3勝)

※馬齢は旧年齢での表記です。

半兄はアイルランドのシアトリカル。BCターフ、ターフクラシック、マンノウォーS、ハイアリアターフC、ボーリンググリーンHC、ソードダンサーHCとG1・6勝を挙げる活躍。種牡馬としてもアイリッシュダービー馬ザグレブなどを輩出した名馬。

偉大な兄を持つタイキブリザードはアメリカ産まれの競走馬でマル外として日本で活躍した。
当時マル外の先駆け的存在で、クビの低いフットワークが特徴的であった。

デビューは4歳2月の東京競馬場ダート1400m戦。鞍上坂本勝美騎手で1番人気。2番手から直線あっさりと抜け出すと、後に重賞3勝を挙げるカネツクロスに4馬身差をつけ圧勝。デビュー戦を飾った。

次走の自己条件戦のダート1800m戦は岡部騎手に乗り替り単勝1.1倍の圧倒的人気に支持された。2番人気はペリエ騎手が騎乗したサクラローレルであった。
ここも好位2番手からレースを進め、後のG1・2勝馬サクラローレルに3/4馬身差をつけ優勝。2連勝とした。ちなみに3着馬はさらに7馬身、4着馬はさらに5馬身もの差がついていた。

3戦目はG3・毎日杯。これまでの2戦と違い、後方からのレースとなり、直線鋭く追い込んだが、勝ったメルシーステージにクビ差届かず2着に惜敗。初黒星となった。

当時はマル外にクラシック出走権はなく、またNHKマイルCも創設前ということで適当な番組もなく、次走は7月のラジオたんぱ賞となった。
単勝1.7倍の1番人気だったが、後ろからきたヤシマソブリンに半馬身差交わされ2着とまたしても重賞制覇を逃した。

その後は北海道へ遠征するが、OP特別・道新杯を4着、函館記念を2着といずれもワコーチカコの前に敗れた。

次走のOP特別・福島民報杯も4着に敗れると、その後は休養に入った。

約半年の休養を取り、復帰戦はOP特別・谷川岳S。このレースを1番人気に応えて優勝し、13ヶ月ぶりの勝利となった。

久々の勝利を挙げ勢いをつけたタイキブリザードは次走でG1初挑戦となる安田記念へと向かった。
勝ったとは言え、OP特別だったため6番人気と評価は高くなかった。レースは逃げたビコーアルファーの2番手につけ直線もよく粘った。最後はハートレイク、サクラチトセオーに交わされたが、G1初挑戦にして3着に好走した。

その後は宝塚記念へ。前走で先着を許したサクラチトセオーが1番人気でタイキブリザードは5番人気。いつものように2番手からレースを進め直線もよく踏ん張ったものの2番人気ダンツシアトルにクビ差及ばず2着に惜敗。またしてもG1タイトルを僅かに逃した。

夏場は休養し、秋はOP特別・富士Sで始動。ここを1番人気で2着。
一叩きされた次走はジャパンC。復活を期すナリタブライアンが1番人気で女傑ヒシアマゾンが2番人気。タイキブリザードは4番人気だった。
先手を主張する馬がおらず、タイキブリザードは初めて逃げる展開となった。残り1Fでランドに交わされるもしぶとく粘ったが、ゴール寸前でヒシアマゾン、エルナンドに交わされ4着に終わった。

悲願のG1制覇へ向け、その後は暮れの大一番有馬記念へ。岡部騎手がジェニュインに騎乗したため坂本騎手が騎乗。ヒシアマゾン、ナリタブライアンが人気でタイキブリザードは5番人気だった。
逃げた田原騎手騎乗のマヤノトップガンを2番手で追走する絶好の展開となったが、余力十分に引き離しにかかったマヤノトップガンを捕らえ切れず2馬身差の2着に敗れた。

結局5歳シーズンはG1に4度挑戦し、3着、2着、4着、2着とG1には手が届かずに終わった。

翌6歳シーズンは大阪杯で始動。1番人気に応え快勝し、遅まきながら重賞初制覇を飾った。

続く京王杯SCでは前年の安田記念覇者ハートレイクの2着に惜敗するも、一叩きして目標の安田記念へ。
好位4番手につけ逃げ粘ったヒシアケボノをゴール前でクビ差捕らえたが、さらに後ろから来たトロットサンダーにハナ差交わされまたしても2着に惜敗した。

なかなかG1タイトルに手が届かないタイキブリザードだったが、その後はBCクラシックに出走するため、カナダへ遠征。兄にシアトリカルがいる血統から海外G1制覇の期待が高まったが、最下位に敗退した。

6歳シーズンはこれを最後に、帰国後は疲れを取るため休養に入った。

翌7歳シーズンは京王杯SCで始動。惨敗後の1戦だったが、単勝1番人気に支持された。早めの休養が功を奏し、行きっぷりを取り戻すと2番手から抜け出し優勝。重賞2勝目を挙げる。

その後は3年連続の出走となる安田記念へと向かった。
前年の豪華メンバーと比較するとメンバーに恵まれたこの年は単勝2.3倍の1番人気に支持された。2番人気は前年のマイルC覇者タイキフォーチュン、3番人気は未知の魅力に溢れた4歳馬スピードワールドであった。
ゴール前詰めの甘さが出るタイキブリザードであったが、このレースは中団から進めた。直線でジェニュインが抜け出したが、脚を溜めていたタイキブリザードがゴール前で測ったように捕らえて差し切り勝ち。詰めの甘さを岡部騎手の好騎乗で補う見事な勝利で悲願のG1初制覇を飾った。

その後は宝塚記念へと向かい2番人気だったが、距離がやや長かったのか、最後の踏ん張りがきかずマーベラスサンデーから0.2秒差の4着に敗れた。

その後は昨年に続き海外へ遠征。アメリカで行われたBCマイルを目標に渡米。昨年とは異なり、ステップレースを使うスケジュールとなった。
ステップレースのG3・オークツリーBCM(芝1600)で3着に好走。目標のBCマイルへ向け視界が開けたが、本番前に目標を昨年惨敗したBCクラシックへと変更された。
強豪揃いとなった一戦は6着と前年より順位を上げたものの、勝ち馬スキップアウェイからは20馬身以上も離されてのものであった。

帰国後はラストランとなる有馬記念へ出走した。海外帰りでの疲れが懸念され6番人気に留まった。
その予感は的中する。好位からレースを進め3角で早々に先頭に立つも、直線はずるずると後退。勝ち馬シルクジャスティスから0.9秒離された9着に大敗した。

■引退後
有馬記念を最後に現役を引退したタイキブリザードはブリーダーズスタリオンステーションで種牡馬入り。2年ごとに繋養先を変えて種牡馬生活を続けた。
2001年にデビューした初年度産駒から出たマヤノブリザードは札幌2歳Sを勝ち、G1・朝日杯FSでも2着に好走する活躍を見せた。

しかし、マヤノブリザード以降は苦戦。ラジオたんぱ賞3着のサウスポールはいたものの、そのほかには目立った活躍馬を送り出すことができず、2005年に種牡馬引退が決まった。

種牡馬引退後は去勢されケンタッキーファームで余生を送っている。

2012.5.29
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