週刊あの馬は今!?


第104回タイキシャーロック
■牡 1992/2/19生れ
■血統
父ジェイドロバリー
母ビラローズ(Key to the Mint)
土田稔厩舎

■戦績
95年5月:未勝利/蛯名/1着
95年6月:アマリリス賞/蛯名/7着
95年11月:500万下/蛯名/3着
95年11月:500万下/蛯名/4着
96年2月:500万下/蛯名/6着
96年2月:500万下/横山典/2着
96年3月:500万下/横山典/1着
96年3月:900万下/横山典/1着
96年5月:欅S/蛯名/1着
96年6月:エルムS/横山典/1着
96年8月:大沼S/横山典/1着
96年9月:シーサイドS/横山典/4着
96年11月:ブラジルC・橋本広/5着
96年12月:ウインターS/横山典/4着
97年7月:マリーンS/横山典/1着
97年9月:エルムS/横山典/2着
97年10月:南部杯/横山典/1着
97年12月:浦和記念/横山典/2着
98年2月:フェブラリーS/横山典/5着
98年5月:かしわ記念/横山典/3着
98年9月:エルムS/横山典/1着
98年10月:南部杯/横山典/2着
98年12月:浦和記念/四位/1着
99年1月:フェブラリーS/横山典/3着
99年5月:かしわ記念/横山典/8着
99年10月:さくらんぼ記念/横山典/2着
99年12月:浦和記念/田中勝/5着

通算28戦10勝(重賞3勝)

※馬齢は当時の表記です。

デビュー前の骨折により初戦は4歳5月となった。
ダート2100m戦を蛯名騎手鞍上で4番人気。スタートが悪く最後方からのレースとなったが、まくって進出すると、2着馬に2馬身半差をつけ優勝。デビュー勝ちを果たした。

次走は芝のレースを使われ7着に敗退し、以降はダートのレースを使われる。

しかしその後は足踏みが続き、結局500万下を勝ち上がるのに6戦を要した。
6戦目の500万下で蛯名騎手から横山典騎手に乗り替り、以降は横山騎手が主戦を努めた。
7戦目の中山ダート1800mで2勝目を挙げると、それまでの足踏みが嘘のような快進撃となる。
500万下、900万下、欅S(1500万下)、エルムS(当時1500万下)、大沼S(当時1500万下)と条件戦を5連勝。一気にオープン入りを果たした。

オープン入り初戦はG3・シーサイドS(ダート1700)。1番人気での出走で3角でまくって進出するも直線後退しキョウトシチーの4着に敗れた。

その後はOP特別・ブラジルCを5着、G3・ウインターSを4着と掲示板を確保しオープンでの目途をつけ5歳シーズンを終えた。

休養を挟み6歳初戦はOP特別マリーンS。1番人気に推されたタイキシャーロックは2番手を追走する積極的なレース。4角で早々と先頭に立つと2着デュークウェインに7馬身差をつける圧勝でオープン初勝利を挙げた。

次走はG3に格上げされたエルムS。タイキシャーロック2.1倍、バトルライン2.2倍と人気を分けた。好位から前を捕らえたがバトルラインにアタマ差交わされ2着に惜敗した。

続く交流G1・南部杯はバトルラインが1番人気でタイキシャーロックが2番人気。人気は逆転されたがレースでは前走の借りを返す見事な走りを見せ、2着バトルラインに6馬身差をつける圧勝でG1制覇を飾った。

12月には浦和記念に出走したがキョウトシチーにハナ差抑えられ2着に惜敗した。

6歳シーズンはG1制覇をはじめ、4戦して2勝2着2回と安定した成績を残した。

翌7歳シーズンはフェブラリーSで始動。
やや押し出される形での1番人気となったが、グルメフロンティアの5着に終わる。

次走はかしわ記念。アブクマポーロが1番人気でタイキシャーロックは2番人気。アブクマポーロの後ろを追走するも直線差を広げられ1.4秒差の3着に敗退。

夏場は前年2着に惜敗したエルムSへ。
またしてもバトルラインが出走。人気は譲ったが好位から直線よく伸び、2着パーソナリティワンに2.1/2馬身差をつけ優勝。重賞2勝目を挙げた。

その後は南部杯連覇を狙ったがメイセイオペラから0.6秒差の2着に敗れる。

続く浦和記念は四位騎手とのコンビとなったが2着メイショウアムールに5馬身差をつける圧勝で1番人気に応え、重賞3勝目を挙げた。

8歳となったタイキシャーロックだが現役を続行。
初戦はフェブラリーS。4番人気での出走だったが、勝ち馬メイセイオペラから0.3秒差の3着、続くかしわ記念もサプライズパワーの0.2秒差に惜敗した。

G1・2勝目を狙った帝王賞では3番人気に支持されるもメイセイオペラから1.9秒も離された8着に大敗する。

4ヶ月の休養を挟み出走したさくらんぼ記念はスノーエンデバーの2着に好走するもメンバーの強化された浦和記念では勝ち馬インテリパワーから1.9秒離された5着に敗れた。

結局8歳シーズンは5戦して1勝もできず、脚部不安もありこの年を最後に現役引退が決まった。

■引退後
現役引退後、2000年から門別のファンタストクラブで種牡馬入りが決まった。
2003年に初年度産駒がデビュー。04年3月にワンダータイキが未勝利を勝ち産駒初勝利を挙げた。
2年目産駒のリュウヨウが中央で4勝を挙げ、金沢へ移籍。3連勝で読売レディス杯を勝つ活躍を見せた。
しかし、目立った活躍馬を輩出することはできず08年に種牡馬登録を抹消。
功労馬として繋養されている。

2012.8.20
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