■牝 1997/3/11生れ
■血統
父サッカーボーイ
母ワンアイドバンブー(ブライアンズタイム)
■戦績
00年3月:阪神/未出走:5着
00年4月:阪神/未出走:7着
00年4月:阪神/未勝利:11着
00年5月:京都/未勝利:3着
00年5月:中京/未勝利:1着
00年6月:阪神/500万下:6着(降着)
00年7月:阪神/500万下:5着
00年8月:札幌/500万下:1着
00年8月:札幌/HBC杯:3着
00年9月:札幌/HTB賞:4着
00年9月:札幌/大倉山特別:1着
00年10月:京都/秋華賞:1着
00年12月:阪神/阪神牝馬特別:3着
01年1月:京都/京都牝馬S:6着
01年3月:中京/中京記念:4着
01年8月:札幌/クイーンS:6着
01年10月:東京/府中牝馬S:2着
01年11月:京都/エリザベス女王杯:3着
01年12月:中京/中日新聞杯:4着
02年1月:東京/AJCC:8着
02年3月:中山/中山牝馬S:2着
02年8月:札幌/クイーンS:4着
通算:22戦4勝(重賞1勝)
※馬齢は当時の表記です。
兄妹に目立った活躍馬はおらず地味な血統で注目度は低かった。
デビューも遅れ、藤井騎手を背に4歳3月の未出走戦で初陣を迎える。デビュー3戦はダートの短距離戦を使われ、5,7,11着と惨敗。
初の芝レースとなった4戦目で3着に好走すると、次走の芝1800m戦で初勝利を挙げた。
続く500万条件では4番人気で出走。メンバー最速の上がりで直線ごぼう抜きを演じるも6着に降着となってしまう。
夏場も休みなく使われ、その後の500万下は5着に敗退するが、次走四位騎手に乗り替わった芝2000m戦で2勝目を挙げた。
さらに札幌で続戦し900万特別を3着、4着と惜敗。
横山典騎手が騎乗した900万特別・大倉山特別を勝って3勝目を挙げた。
賞金を加算したティコティコタックは武幸四郎騎手とのコンビでG1・秋華賞に挑戦することになった。
春のクラシックを制したシルクプリマドンナ、チアズグレイスらが出走し、ティコティコタックは10番人気の低評価だった。
しかし、好スタートから好位に取りつくと、直線で伸び、逃げたヤマカツスズランを1/2馬身差捕らえて優勝。重賞初挑戦となった秋華賞を見事に制した。なお、鞍上の武幸四郎騎手にとっても初のG1勝利であった。
その後はエリザベス女王杯は見送り、暮れの阪神牝馬特別へ出走。秋華賞をフロック視され、7番人気の低評価だったが、トゥザヴィクトリーの3着に入り、力のあるところを見せた。
古馬となった翌年は京都牝馬S6着、中京記念4着、クイーンS6着と苦戦が続く。
秋の府中牝馬Sで2着に入り、復調の気配を見せると、その後はG1・エリザベス女王杯へ出走。
テイエムオーシャンが人気を集める中、ティコティコタックは5番人気での出走だった。中団の位置から脚を溜め直線しぶとく伸びてゴール。ゴール前5頭が横一線に広がっての写真判定となった。
1着から5着馬までハナ+ハナ+クビ+クビ差の大接戦。結果、ティコティコタックはトゥザヴィクトリー、ローズバドにわずかに競り負け3着だった。
惜しくもG1・2勝目を逃したものの確かに復調を感じさせた。
しかし、その後出走した中日新聞杯では生涯で唯一となる1番人気に支持されたが、4着に敗退してしまう。
6歳となった翌年は相手の強かったAJCCでフサイチランハートの8着、中山牝馬Sでは2着に入ったものの、勝ったダイヤモンドビコーからは5馬身離されていた。
その後は一息入れられ札幌のクイーンSへ。ここでも前年のエリザベス女王杯同様ゴール前大接戦となったが、勝ち馬ミツワトップレディからハナ+ハナ差+クビ差の4着に競り負けた。
クイーンS後には捻挫で戦線離脱。放牧に出され復帰を目指したが、脚元の炎症が再発し現役復帰を断念。繁殖入りした。
■引退後
引退後は浦河町のバンブー牧場で繁殖牝馬となった。
初年度はアフリートの仔を出産。バンブーファルカンと名づけられたその初子は07年にデビュー。6戦目で初勝利を挙げたが、その後は勝利をあげることができず、9戦1勝で引退。
その後はクリスタルバンブー(牝・父クロフネ)、バンブーインディゴ(牝・父ダンスインザダーク)が競走馬登録されるも不出走で終わった。
08年産のコモノドラゴン(牡3・父アグネスタキオン)も2011年10月時点でデビューを果たせていない。
レースに出走できたのは初年度産駒のバンブーファルカンのみと残念な結果となっているが、今年2歳の産駒は父マンハッタンカフェのギャラクティコ(牝)がデビューを目指している。
現役時代にしのぎを削ったトゥザヴィクトリーがトゥザグローリーを、ローズバドがローズキングダムをそれぞれ出しており、ティコティコタックにも活躍馬を期待したい。
2011.10.11