週刊あの馬は今!?


第119回トウカイテイオー
■牡 1988/4/20生れ
■血統
父シンボリルドルフ
母トウカイナチュラル(ナイスダンサー)
松元省一厩舎

■戦績
90年12月:新馬戦/安田隆行/1着
90年12月:シクラメンS/安田隆行/1着
91年1月:若駒S/安田隆行/1着
91年3月:若葉S/安田隆行/1着
91年4月:皐月賞/安田隆行/1着
91年5月:ダービー/安田隆行/1着
92年4月:大阪杯/岡部/1着
92年4月:天皇賞(春)/岡部/5着
92年11月:天皇賞(秋)/岡部/7着
92年11月:ジャパンC/岡部/1着
92年12月:有馬記念/田原/11着
92年12月:有馬記念/田原/1着

通算12戦9勝(重賞5勝)

※馬齢は旧表記です。

母トウカイナチュラルはオークス馬トウカイローマンの半妹。トウカイテイオーの半弟には01年アルゼンチン共和国杯を勝ったトウカイオーザがいる。

父は三冠馬シンボリルドルフでデビュー前から大きな期待を寄せられていたトウカイテイオー。デビュー戦はクラシックまで手綱を取ることになる安田隆行騎手で、3歳暮れの中京・芝1800m戦。不良馬場で行われたが、中団から直線抜け出すと、2着カラーガードに4馬身差をつける圧勝で1番人気に応えた。

2戦目OP特別シクラメンS(芝2000)では3番人気だったが、直線抜け出し2着イイデサターンに2馬身差をつけ優勝。デビュー2連勝とした。
続くOP特別・若駒S(芝2000)では単勝1.3倍の圧倒的1番人気。好位から楽々と抜け出し、前走で下したイイデサターンに2馬身半差とさらに差を広げて優勝した。

その後は皐月賞の前哨戦、若葉Sへ。ここでも単勝1.2倍の圧倒的1番人気に支持された。道中好位を追走し4角では早くも先頭に。直線も余裕の手応えで抜け出すと2着アサキチに2馬身差をつけ優勝。デビュー4連勝でクラシック本番へ駒を進めた。

迎えた皐月賞。初の重賞がG1の舞台となった。
G1・阪神3歳Sを制したイブキマイカグラとともに単枠指定を受け、トウカイテイオーは1番人気に支持された。大外18番枠からスタート。好位に取りつくと直線早めに抜け出し、後方から追い込んだシャコーグレイドに1馬身差をつけ優勝。
デビュー以来無傷の5連勝で皐月賞を制した。

次走はダービー。ここでも単枠指定を受けたトウカイテイオーは単勝1.6倍の圧倒的1番人気。大外20番枠からのスタートとなったが、先行集団に取りつくと直線外から抜け出し、2番人気レオダーバンに3馬身差をつけ快勝。

6連勝での二冠制覇となり、父シンボリルドルフとの親子二代無敗のクラシック三冠制覇への期待が高まった。
しかし、レース後に左後脚の骨折が判明。全治6ヶ月の診断でラスト一冠菊花賞への参戦は叶わず休養することとなった。なお、菊花賞を制したのはダービーで下したレオダーバンであった。

秋の復帰はならず翌5歳の4月、大阪杯での復帰となった。
鞍上は父シンボリルドルフの主戦であった岡部騎手に乗り替わりとなった。
10ヶ月ぶりのレースだったが単勝1.3倍の1番人気に支持された。3番手からレースを進め直線あっさり抜け出すと、2着ゴールデンアワーに1.3/4馬身差をつけ優勝。復帰戦を白星で飾った。

その後は天皇賞・春へ。前年の年度代表馬メジロマックイーンとの対決で注目を集めた。1番人気はトウカイテイオーで1.5倍、2番人気がメジロマックイーンで2.2倍となった。
レースではメジロマックイーンが先行集団に取りつき、トウカイテイオーは中団を追走。レース途中からマックイーンが先頭に立ちレースを引っ張る展開となり、トウカイテイオーもポジションを上げていったが、直線ではいつもの反応は見られず5着に敗退。優勝したのは2番人気のメジロマックイーンだった。

初黒星を喫したトウカイテイオーだったが、数日後に右前脚の骨折が判明。2度目の休養に入ることとなった。

骨折の症状は重くなく、その年の天皇賞・秋で復帰となった。
休み明けのレースだったが、1番人気に支持された。しかし仕上げも一息で好位から直線後退。勝ったレッツゴーターキンから0.5秒差の7着に敗れた。

連敗を喫したトウカイテイオーだったが復活を期し、ジャパンCへ出走。ユーザーフレンドリー、ナチュラリズム、レッツイロープら海外の競合が参戦し、トウカイテイオーは日本馬では最上位だったが5番人気に留まった。
しかし、先団からレースを進めると、2番人気ナチュラリズムとの競り合いをトウカイテイオーがクビ差制し、ダービー以来となるG1・3勝目を挙げた。

復活勝利を飾ったトウカイテイオー。暮れのグランプリ・有馬記念はファン投票1位に選出された。鞍上は岡部騎手が騎乗停止処分を受けたため田原成貴騎手に決まった。
1番人気に支持されたトウカイテイオー。しかしレースでは終始後方のまま反応がなく、生涯最低着順となる11着に大敗した。

翌6歳シーズンは宝塚記念を目標に調整されていたが、左前脚の骨折が判明。3度目の骨折で再び休養に入ることとなった。
結局復帰戦は丸々1年ぶりとなる有馬記念となった。岡部騎手はビワハヤヒデへの騎乗が決まっていたため、前年に引き続き田原騎手が手綱を取った。
1番人気はビワハヤヒデでトウカイテイオーは1年ぶりのレースとあり4番人気に留まった。
+14キロでのレースだったが、中団から徐々にポジションを上げていくと、直線ビワハヤヒデとの競り合いを半馬身差制して優勝。奇跡の復活勝利となり、場内は割れんばかりの歓声に包まれた。

翌7歳シーズンも現役続行が決められたが、復帰予定だった大阪杯を筋肉痛で回避。その後、またしても骨折が判明し休養へ。
秋の天皇賞を目標にされていたが、回復状況が思わしくなく結局その後はレースに復帰することなく引退が決まった。

■引退後
引退後は社台スタリオンステーションで種牡馬入り。一口1500万円、総額9億円のシンジケートが組まれた。
初年度から100頭を超える繁殖を集める人気となった。
初年度産駒は1998年にデビュー。期待が高かったが初年度、2年目産駒は振るわず徐々に種付け頭数を落とした。
そんな中、3年目産駒のチタニックオーがシンザン記念2着、皐月賞3着と活躍。2001年にタイキポーラがマーメイドSを制して重賞初制覇となった。
その後トウカイポイントが2002年マイルCSを制しG1初制覇。翌03年阪神JFをヤマニンシュクルが制しG1・2勝目を挙げた。
03年には新馬戦、山藤賞、プリンシパルSを3連勝し、ダービーの秘密兵器としてマイネルソロモンが6番人気で出走。父子ダービー制覇の期待がかかったが、は最下位18着に敗れてしまった。
その後は目立った活躍馬は出ていない。
G1を勝ったトウカイポイントはセン馬のため種牡馬となれず、現状ではトウカイテイオーの後継種牡馬がいない状況となっている。

2012.12.17
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