週刊あの馬は今!?


第70回:トロットサンダー
■牡 1989/5/10生れ
■血統
父ダイナコスモス
母ラセーヌワンダ(テスコボーイ)
相川厩舎

■戦績
92年7月:浦和/サラ系:1着
92年7月:浦和/サラ系:1着
92年8月:浦和/サラ系:1着
92年9月:浦和/若武蔵特別:1着
92年10月:浦和/サラ系:1着
93年1月:浦和/サラ系:2着
93年1月:浦和/サラ系:1着
93年2月:浦和/ヒヤシンス特別:1着
94年5月:浦和/あやめ特別:1着
94年7月:札幌/日高特別:2着
94年12月:中山/美濃特別:1着
95年1月:中山/初富士S:1着
95年3月:中山/中山記念:7着
95年5月:東京/府中S:1着
95年7月:札幌/札幌記念:7着
95年8月:函館/函館記念:7着
95年10月:東京/毎日王冠:3着
95年10月:東京/アイルランドT:1着
95年11月:京都/マイルCS:1着
96年2月:東京/東京新聞杯:1着
96年5月:東京/京王杯SC:3着
96年6月:東京/安田記念:1着

通算:22戦15(重賞1勝)

※馬齢は当時の表記です。

父・皐月賞馬ダイナコスモスのトロットサンダーは地方・浦和競馬でデビューした。
デビュー前の大怪我があり、初戦は4歳7月と大幅に遅れたが、その後は順調に使われ、無傷の5連勝。

2着1回を挟み再度2連勝するが、その後骨折を発症。
症状は重く、競走能力にかかわるほどのものだったが、1年3ヶ月の休養を経て復帰を果たす。

復帰戦のあやめ特別を快勝すると、その後中央競馬へ移籍。

中央入り初戦は900万・日高特別。鞍上は横山典騎手だった。なお、中央移籍後の全レースで同騎手が手綱を取ることになる。
その初戦こそ2着に敗れたものの、続く美濃特別、準OP・初富士Sと連勝。中央でも十分に通用することを示した。

重賞初挑戦となった中山記念ではフジヤマケンザンの7着に敗れるも、次走の準OP・府中Sでは後の高松宮記念馬シンコウキングに2馬身半差をつけ完勝。

その後は北海道シリーズに遠征するも札幌記念を1番人気7着、函館記念を3番人気7着で終わる。
いずれも芝2000mで後から振り返ると距離に限界があったのかもしれない。

秋は重馬場の毎日王冠で始動。6番人気ながらメンバー最速の上がり3F35.0秒で追い込むと重巧者スガノオージの0.5秒差3着に食い込んだ。
中団からやや前目でレースをすることが多かったトロットサンダーだが、函館記念で後方からの競馬をしており、追い込み馬としてのスタイルが確立しつつあった。

次走のOP特別アイルランドTを快勝し弾みをつけると、G1初舞台となるマイルCSへと駒を進めた。
重賞未勝利ながらマイル戦負けなしが評価され4番人気に支持された。
スタートから後方のポジションをとると、4コーナーでも後方5,6番手の位置だったが、上がり3F34.8秒の末脚で豪快に差し切って重賞初勝利をG1で成し遂げた。
当時マイルCSは”固いレース”として知られていたが、1番人気ビコーペガサスが4着、2番人気ヒシアケボノが3着と連を外し、さらに2着に16番人気メイショウテゾロが入ったことで馬連は当時G1史上2番目の高配当となる104,390円と大荒れの結果となった。
また当時7歳馬(現8歳)でのG1制覇は初の快挙であった。

年が明けて8歳となったトロットサンダーだが現役を続行。
初戦のG3・東京新聞杯を差し切って優勝し3連勝とする。

その後は安田記念を目標に、京王杯SCへ出走した。
タイキブリザードが1番人気でトロットサンダーは2番人気。後方からメンバー最速となる上がり3F34.1秒の末脚で追い込むも、勝ち馬ハートレイクから1/2+アタマ差の3着に惜敗した。

そして迎えたG1・安田記念。
この年は前年の覇者で京王杯SCでも先着を許したチームゴドルフィンのハートレイクをはじめ、女傑ヒシアマゾン、皐月賞馬ジェニュイン、短距離女王フラワーパーク、オークス馬ダンスパートナー、前走で先着を許したタイキブリザードなど豪華メンバーが終結した一戦で注目度の高いレースだった。
その中でトロットサンダーは単勝3.4倍の1番人気に支持された。
いつものように後方でじっくりと脚を溜める。
マイペースで先手を奪ったヒシアケボノが直線に入っても脚色がいい。しかし、ゴール前でタイキブリザードがヒシアケボノに並びにかかると、さらに後方からトロットサンダーが差を詰める展開。交わすまでは厳しいかと思われたゴール寸前、鋭い切れ味を発揮したトロットサンダーがもう一伸びし、タイキブリザードと鼻面を並べてゴール。
長い写真判定の結果、ハナ差でトロットサンダーに軍配が上がった。

2つ目のG1の勲章を手に入れ、名マイラーの名を掴んだトロットサンダー。
秋は引退レースとして天皇賞を目標におき、毎日王冠で始動するプランが立てられた。

しかし、調教中に骨膜炎を発症。放牧に出されることに。そんな中、9月にトロットサンダーをめぐる名義貸し事件が発覚する。

※地方時代の馬主が中央競馬での馬主資格を有しておらず、中央移籍した際に中央競馬馬主資格を持つ藤本氏に所有権が移されたとしていた。しかし、96年秋になり同馬の実質所有が元の有限会社有匡にあり、藤本氏は名義を貸しているのみであったことが発覚。

藤本氏は馬主資格を剥奪、トロットサンダーも強制的に現役引退となり、名マイラーは道半ばで現役を終えることになった。

■引退後
G1を2勝した同馬だったが引退式は行われずひっそりとターフを去った。
引退後、種牡馬として繋養されたものの、地味な血統ゆえに繁殖は集まらなかった。
それでも地方競馬を中心に数頭の活躍馬を出したものの、種付け件数は徐々に減少。2004年には種牡馬廃用となった。
さらに不幸なことにその年の秋に骨折により安楽死処分となってしまう。
一部では衰弱したその馬体から餓死ではないか、とのうわさも流れたが、真相は不明のままである。

そんな不運に見舞われたトロットサンダーだが、報知オールスターカップ1着、川崎記念3着など地方で活躍した代表産駒のウツミジョーダンが2008年に種牡馬入りした。
父系の血を残すわずかな可能性が残った。
しかし、ウツミジョーダンは2008年に3頭い種付けし1頭が誕生したものの、その後は産駒がおらず、2011年1月に用途変更となってしまった。

2011.11.14