週刊あの馬は今!?


第13回:トゥザヴィクトリー
■牡 1996/02/22生れ
■血統
父サンデーサイレンス
母フェアリードール
半弟サイレントディール(シンザン記念,武蔵野S,佐賀記念)

■戦績
98年12月:阪神/新馬戦:1着
99年1月:京都/福寿草特別:2着
99年1月:京都/つばき賞:1着
99年3月:阪神/アネモネS:3着
99年4月:阪神/桜花賞:3着
99年5月:東京/オークス:2着
99年9月:阪神/ローズS:4着
99年10月:京都/秋華賞:13着
00年6月:東京/エプソムC:5着
00年7月:阪神/マーメイドS:2着
00年8月:札幌/クイーンS:1着
00年10月:東京/府中牝馬S:1着
00年11月:京都/エリザベス女王杯:4着
00年12月:阪神/阪神牝馬S:1着
01年2月:東京/フェブラリーS:3着
01年3月:ドバイ/ドバイWC:2着
01年11月:京都/エリザベス女王杯:1着
01年11月:東京/ジャパンカップ:14着
01年12月:中山/有馬記念:3着
02年2月:東京/フェブラリーS:4着
02年3月:ドバイ/ドバイWC:11着

通算:21戦6勝(重賞4勝)
※馬齢は当時の表記です。

デビューは98年12月。幸騎手を背に1番人気に応え1着。
続く福寿草特別ではスリリングサンデーを捕らえられず2着に敗れたが、3着にナリタトップロードを抑えた。
続くつばき賞は順当に勝ち上がり。その後は4歳牝馬特別を目指すも体調不良で回避。なんとか出走にこぎつけたアネモネSでは圧倒的1番人気に推されるも、直線失速し3着に敗退。桜花賞の優先出走権獲得ならなかった。

結局、桜花賞には抽選で出走できるようになったが、人気は5番人気。それでも体調が戻りつつあった桜花賞では幸騎手を背に先行すると、直線も粘り、プリモディーネ、フサイチエアデールの3着に健闘した。

続くオークスでは、桜花賞は2着のフサイチエアデールに騎乗した武豊騎手がフサイチエアデールに戻ったことで人気も上昇。1番人気に推された。先団を追走し、直線ではいったん抜け出すも、ゴール前、蛯名騎手のウメノファイバーの強襲にあい惜しくもハナ差でタイトルを逃した。

休養を挟んで出走したローズSでは1番人気も4着。それでも続く秋華賞でも1番人気に推されるほど期待が大きかった。しかし、その期待を大きく裏切る13着に大敗する。ちなみにこの年の秋華賞は12番人気のブゼンキャンドルが1着、10番人気のクロックワークが2着と大波乱となった。

以降、半年ほど休養し、エプソムCで復帰し、3番人気5着。
一叩きされたマーメイドSでは1番人気に推されるも逃げを打つもフサイチエアデールに差され2着。
なかなか重賞タイトルに手が届かなかったが、復帰後3戦目となったクイーンSでようやく重賞初V。
続く府中牝馬Sではハイフレンドコードに4馬身差をつける逃げ切り勝ちでいよいよG1タイトル獲得への期待が膨らんだ。

重賞2連勝で挑んだエリザベス女王杯だったが、ファレノプシスの4着に敗れる。
1ヶ月後の阪神牝馬特別で重賞3勝目を挙げるも、翌年はG1制覇に向け、ダート路線への挑戦をすることになる。
初ダートとなったフェブラリーSだったが、ノボトゥルー、ウイングアローの3着に好走したことで、ドバイ遠征が決定。
目標としていたドバイワールドカップにはウイングアローとレギュラーメンバーが選出されていたため、トゥザヴィクトリーはドバイデューティフリーの選出となった。しかし、ウイングアローが体調不良のため辞退したため、ドバイワールドカップへの出走が叶った。
武豊騎手を背に、世界の強豪を相手に善戦。勝ったキャプテンスティーヴには敗れたものの、牝馬としては同レース最高着順となる2着に大健闘した。

帰国後は、しばらく休養し、エリザベス女王杯で始動。7ヶ月以上の休み明けとなり、人気は4番人気とそれほどなかった。レースはこれまでの先行策からガラリと変わり、後方待機の競馬。直線怒涛の追い込みを見せると、後続のローズバド以下とはハナ+ハナ+クビ+クビ差の大接戦を制し、悲願のG1制覇を遂げた。

その年の秋は古馬牡馬相手にジャパンカップに挑戦。強豪相手に11番人気と評価を落とした。武豊騎手がステイゴールドを選んだことも影響した。
後方からレースを進めるも、道中一気に順位を上げてしまい、レース途中からハナを切るチグハグな形になってしまい、ジャングルポケットの14着に大敗。
有馬記念でも6番人気と人気はなかったが、逃げる展開となり、マンハッタンカフェの3着に粘った。

翌年もフェブラリーSをステップにドバイワールドカップに参戦。フェブラリーSはアグネスデジタルの4着、ドバイワールドカップではストリートクライの11着に敗退。同レースを最後に現役を引退した。

■引退後
ドバイワールドカップを最後に引退し、その年の2002年春からノーザンファームで繁殖入り。
06年度のキングカメハメハとの仔はセレクトセールで日本最高額となる6億円の値がつき話題となった。結局、競走登録はされず、未出走のまま繁殖入りし、ディナシーという馬名がついた。

その2つ姉となる2番仔アゲヒバリ(牝・父クロフネ)は船橋でデビュー。デビュー戦を飾り、3戦目で2勝目。5戦目では交流G2・関東オークスに出走するも11着。その後は4戦して2勝を挙げて引退。繁殖入りした。

記憶に新しい07年度の牡馬、父キングカメハメハは今年のダービーにも出走(7着)したトゥザグローリー。

その下には父シンボリクリスエスの牡馬(08年)、父シンボリクリスエスの牝馬(09年)がスタンバイしている。