■牡 1995/4/6生れ
■血統
父シンボリルドルフ
母スィートシエロ(ConquistadorCielo)
■戦績
98年5月:京都/未勝利:1着
98年11月:京都/逢坂山特別:5着
98年11月:中京/犬山特別:1着
99年1月:京都/稲荷特別:取消
99年6月:中京/三河特別:1着
99年7月:小倉/北九州記念:3着
99年9月:阪神/朝日CC:1着
99年10月:京都/京都大賞典:1着
99年10月:東京/天皇賞・秋:8着
99年12月:中山/有馬記念:4着
00年10月:京都/京都大賞典:6着
00年12月:中山/有馬記念:中止
通算:11戦5勝(重賞2勝)
※馬齢は当時の表記です。
父シンボリルドルフを持つツルマルツヨシ。血液成分が悪く体質の弱さがあり、デビューは遅れ、4歳5月の未勝利戦がデビュー戦となった。藤田騎手鞍上で5番人気での出走だった。ダート戦だったが、先手を奪うとそのまま逃げ切りデビュー勝ちを果たした。
しかし体質が弱く順調に使うことができず、2戦目は11月の京都500万特別。久々の出走となった同レースでは5着に敗退するも、次走の犬山特別を後続に3馬身半差をつける完勝で2勝目を挙げる。
年が明けて1月の900万特別は出走取消となり、5ヶ月間の休養。
休み明けの900万特別三河特別を1番人気に応え快勝すると、格上挑戦となるG3・北九州記念に出走(当時は芝1800m)。
51キロの軽量であったが、行き脚がつかず後方からのレース。直線いい脚で差をつめたがエイシンビンセンスから0.4秒差の3着に敗れた。
しかし重賞でも十分通用する力を見せたツルマルツヨシは次走またしてもG3・朝日CCに挑戦する。
5番人気での出走だったが、中団から直線鋭く弾け、2着メイショウオウドウに1馬身半差をつけ差し切り勝ち。重賞初制覇を飾った。
続いて出走した京都大賞典はこれまでとはメンバーが違った。
ダービー馬スペシャルウィークをはじめ、テイエムオペラオー、メジロブライト、ステイゴールドらの強敵が揃いツルマルツヨシは4番人気だった。しかしレースではその競合たちを退け2着メジロブライトに3/4馬身差をつける完勝劇を演じた。
豪華メンバーを下し一気に秋の主役に躍り出たツルマルツヨシ。天皇賞・秋ではセイウンスカイに次ぐ2番人気に推された。しかし不利な大外枠も響きスペシャルウィークから0.6秒差の8着に終わる。
次走JCは見送り有馬記念に出走。6番人気と評価を落としたが、勝ち馬グラスワンダーからハナ+クビ+1/2馬身差の4着に好走。天皇賞では完敗したものの力のあるところを見せた。
この一戦で来年は敵なしと翌年へ向けての自信を深めた陣営だったが、その後骨溜を発症し無念の長期休養へ。
復帰は翌年の京都大賞典まで延びてしまった。
長期休養明けながら期待の高さから3番人気に支持されたが、レースではいいところなく6着に敗退。
最後のレースとなってしまった有馬記念では最後の直線で左前繋靭帯を断裂する事故にあい競走を中止。競走能力喪失の診断が下され、持てる能力を十分に発揮することなくターフを去ることになった。
■引退後
能力の高さは見せたもののG1の勲章を得ることはできず、種牡馬入りはかなわなかった。
引退後は患部の回復後、2002年から京都競馬場の誘導へと転身。07年第4回京都開催まで活躍した。
その後は、引退名馬繋養展示事業の助成を受け、宮城県の乗馬クラブで余生を過ごしている。
管理した二分調教師をして同じシンボリルドルフ産駒でもトウカイテイオーをはるかに上回る素質の持ち主と言わしめたツルマルツヨシ。体質の弱さから満足にレースに使うことができなかったが、一瞬の輝きはまさに名馬のものであった。
2011.10.3