■牝 1992/5/31生れ
■血統
父トニービン
母メルシーサンライズ(マルゼンスキー)
新井仁厩舎
■戦績
94年12月:新馬戦/松永幹夫/1着
94年12月:千両賞/田島裕和/6着
95年1月:若菜賞/松永幹夫/3着
95年2月:うぐいす賞/松永幹夫/1着
95年3月:チューリップ賞/松永幹夫/1着
95年4月:桜花賞/松永幹夫/5着
95年5月:オークス/松永幹夫/2着
95年10月:ローズS/松永幹夫/13着
95年11月:エリザベス女王杯/松永幹夫/5着
97年10月:カシオペアS/松永幹夫/8着
通算10戦3勝(重賞1勝)
※馬齢は旧表記で統一します。
デビュー戦は3歳12月、阪神芝1200m戦。松永幹夫騎手とのコンビで2番人気。中団追走から直線抜け出し2着1番人気ロングセレッソに3/4馬身差をつけ優勝。初戦を制した。
2戦目は田島騎手とのコンビで千両賞へ。この時点ではあまり注目された存在ではなく、9番人気と低評価だった。レースも見所なく待ち馬メイショウテゾロから1.1秒差の6着に敗れた。
次走の若菜賞では松永騎手に手綱が戻り以降は全戦で松永騎手とのコンビとなる。
4番人気での出走でタイブルースの0.3秒差3着と500万下での目処をつけると、次走のうぐいす賞では2着マークプロミスに2.1/2馬身差をつける快勝で2勝目を挙げた。
その後は桜花賞を目標にトライアル、チューリップ賞に出走。プライムステージ1.7倍、ダンスパートナー2.4倍と2強ムードで、ユウキビバーチェは17.5倍と離れた3番人気だった。
岡部騎手騎乗のプライムステージが先手を取り、ユウキビバーチェは武豊騎手騎乗のダンスパートナーとならんで5,6番手を追走。直線は反応よく伸びると、ダンスパートナーをハナ差抑えて優勝。上がり3Fはメンバー最速の35.9秒だった。
続く本番の桜花賞は地方馬ライデンリーダーが1.7倍の圧倒的人気を集め、ユウキビバーチェは前哨戦で下したプライムステージ、ダンスパートナーに続く4番人気だった。
後方追走からしぶとく脚を伸ばしたが上位馬からは離され、勝ち馬ワンダーパフュームから0.5秒差の5着に敗れた。
その後はオークスに出走。引き続きライデンリーダーが1番人気で、フラワーC、スイートピーSを連勝してきたイブキニュースターが2番人気、以下ダンスパートナー、プライムステージ、ユウキビバーチェと続いた。血統的には東京2400mに舞台が変わるオークスは絶好の舞台だった。
2番手を追走したライデンリーダーが早々と脱落する展開となり、中団を追走したユウキビバーチェ、ダンスパートナーが外から並んで伸びてきた。ともに譲らなかったが残り100mでダンスパートナーが前に出ると一瞬で突き放され1.3/4馬身差の2着に敗れた。
惜しくもG1タイトルに手は届かなかったが秋の戴冠を目指して夏場は休養に入った。
復帰戦はローズS。4番人気で出走するもいいところなくまさかの13着に大敗。デビュー以来最低着順に終わった。
次走のエリザベス女王杯では7番人気と評価を落としたが、ダンスパートナーが菊花賞に向かったため人気は割れ混戦ムードであった。
ユウキビバーチェが好スタートを切ると、そのまま先手を奪う展開に。好位を追走していた勝ち馬サクラキャンドルに早めに並びかけると直線はいっぱいになり0.5秒差の5着に敗れた。
その後は骨折が判明し休養に入ると、復帰までに約2年を要した。
すでに6歳となった復帰戦のカシオペアSは馬体重+34キロと大幅増であった。
8頭立て8番人気での出走。スタートから悪く最後方を追走するとそのまま1頭も抜かせず勝ち馬ユウトウセイから2.5秒も離された最下位でゴール。
まったくいいところなく結局、現役引退が決まった。
デビューから全10戦で2番人気が1度あったのみで1番人気は1度もなく人気にならないタイプだったがクラシック3冠はすべて掲示板に乗る名脇役であった。
■引退後
現役引退後は北海道門別の日西牧場で繁殖入り。
すでに2008年に死んでおり、産駒は1999年生れのユウキビバから2008年生れのユウキイバボーイまで9頭いる。
中央の平場ではでは初仔のユウキビバ(牝・父フォーティナイナー)が1勝、3番仔のユウキアヴァンセ(牡・父フォーティナイナー)が4勝を挙げたが、その他は目立った活躍馬は出せなかった。
2013.2.25
今週のマル秘予想