■牡 2000/3/27生れ
■血統
父サンデーサイレンス
母ローミンレイチェル(マイニング)
藤沢和厩舎
■戦績
03年2月:中山/新馬戦:1着
03年3月:阪神/すみれS:3着
03年4月:中山/山吹賞:1着
03年5月:東京/青葉賞:1着
03年6月:東京/ダービー:2着
03年9月:阪神/神戸新聞杯:1着
03年10月:京都/菊花賞:4着
03年12月:中山/有馬記念:3着
04年3月:中山/日経賞:2着
04年5月:京都/天皇賞(春):2着
04年6月:阪神/宝塚記念:4着
04年10月:京都/京都大賞典:2着
04年10月:東京/天皇賞(秋):1着
04年11月:東京/ジャパンC:1着
04年12月:中山/有馬記念:1着
05年6月:阪神/宝塚記念:3着
05年8月:英/インターナショナルS:2着
05年10月:東京/天皇賞(秋):2着
05年11月:東京/ジャパンC:3着
05年12月:中山/有馬記念:8着
通算:20戦7勝(重賞5勝)
セレクトセール出身で9000万円の高値で落札され注目されていたが、仕上がりの遅さもあり、デビュー戦は3歳2月と遅かった。鞍上は横山典騎手で単勝1.8倍の1番人気での出走。
スタートで後手を踏み後方からの競馬となったが、メンバー最速の上がり3F35.0秒の末脚で一気に伸びると2着ペイシャンキングに2馬身半差をつけ差し切り勝ち。1番人気に応えた。
2戦目は芝2200mのOP特別すみれS。武豊騎手騎乗のリンカーンが1番人気でゼンノロブロイは2番人気。中団からレースを進めるも直線伸びあぐね、勝ったリンカーンから0.4秒差の3着に敗れた。
この時期は骨膜炎の症状も見られ十分な調教もできないことも影響した。
それでも3戦目の500万特別・山吹賞を快勝すると、続くダービートライアル・青葉賞も先団から直線抜け出す横綱相撲を見せ、2着タカラシャーディーに1.1/4馬身差をつけ優勝。ダービーへの切符をつかんだ。
藤沢和厩舎からは前年にシンボリクリスエスが同じく山吹賞、青葉賞を連勝してダービーに挑み2着に惜敗しており、ゼンノロブロイでのリベンジが期待された。
ダービーは皐月賞1,2着のネオユニヴァース、サクラプレジデントに次ぐ3番人気での出走。
好スタートから2番手を追走し直線いったんは先頭に立ったものの、ネオユニヴァースに1/2馬身差交わされ2着に敗れ、シンボリクリスエスと同じ結果となってしまった。
夏場は休養し、秋は神戸新聞杯で始動。デザーモ騎手鞍上で、3番人気での出走だったが、好位から直線抜け出すと、1番人気サクラプレジデントに3馬身半差をつける圧勝で秋の始動戦を飾った。
神戸新聞杯での圧勝もあり、その後は天皇賞・秋ではなく、菊花賞への出走が決定。ペリエ騎手に乗り替わり、三冠を狙うネオユニヴァースに次ぐ2番人気で出走。
中団からレースを進めたものの、ザッツザプレンティの早め抜け出しに追いつくことができず、4着に終わった。
次走は有馬記念へ。ペリエ騎手が引退レースとなる厩舎の先輩シンボリクリスエスへ騎乗したため、柴田善騎手が手綱をとった。
好位からレースを進め、直線しぶとく伸びたものの、前をいくシンボリクリスエスとの差は開くばかりで2着リンカーンにも3/4馬身差競り負け3着だった。勝ち馬シンボリクリスエスはさらにその9馬身も先にいた。
古馬となり、引退した同厩のシンボリクリスエスの後継として期待がかかったゼンノロブロイ。
春は天皇賞を目標に日経賞で始動。強力な相手もおらず、単勝1.1倍の断然人気に支持されたが、逃げたウインジェネラーレを捕らえることができず、クビ差の2着に敗れてしまう。
迎えた春の天皇賞ではオリヴァー騎手に乗り替わり4番人気での出走。単勝71倍の10番人気イングランディーレが大逃げを打つ展開となり、ゼンノロブロイは好位を追走。そこから懸命に前を追うが、直線に入っても大きくリードを保ったイングランディーレの脚色は衰えず、7馬身差の2着に敗れた。
続く宝塚記念では田中勝騎手が騎乗し2番人気。前走同様好位からレースを進めたが、勝ち馬タップダンスシチーから0.5秒差の4着に終わった。
夏場を休養し、秋は岡部騎手とのコンビで京都大賞典で始動。ここでも1番人気ながらナリタセンチュリーのクビ差2着に惜敗。
大負けこそしないものの勝ち切れない競馬が続き神戸新聞杯以来1年以上勝ち星から遠ざかった。
しかし、そんな善戦マン、ここからゼンノロブロイが一変する。
ペリエ騎手が騎乗し挑んだ天皇賞・秋。単勝3.4倍ながら1番人気に支持された。
中団に位置したゼンノロブロイはメンバー最速となる上がり3F34.4秒の末脚で一気に伸びると、3歳牝馬の桜花賞馬ダンスインザムードに1.1/4馬身差をつけて快勝。
悲願のG1初制覇を遂げた。
続くジャパンCはコスモバルクに3馬身差、有馬記念ではタップダンスシチーに1/2馬身差をつけ連勝。
ペリエ騎手とのコンビで2000年テイエムオペラオー以来となる史上2頭目となる秋の古馬三冠を達成した。
G1・3勝を挙げた4歳の2004年シーズンは年度代表馬に輝いた。なお、サンデーサイレンス産駒として初の年度代表馬でもあった。
5歳シーズンは天皇賞はパスし、ぶっつけで宝塚記念へ。デザーモ騎手とのコンビで2番人気に推されたが、11番人気スイープトウショウの大駆けの前に3着に敗退。
その後は8月の英G1・インターナショナルSに参戦。
武豊騎手との初コンビで出走したが、エレクトロキューショニストにわずかクビ差及ばず2着に惜敗した。
帰国後は昨年制した古馬三冠へ出走。
天皇賞ではダービー以来となる横山典騎手とのコンビに戻り1番人気。好位からよく伸びたが、14番人気の伏兵ヘヴンリーロマンスにアタマ差競り負け2着。
ジャパンCはデザーモ騎手とのコンビで1番人気。後方から差をつめるも、デットーリ騎手騎乗のアルカセットからハナ+1.3/4馬身差の3着に敗退。
すっかり善戦マンに戻ってしまったゼンノロブロイ。引退レースとなる有馬記念には無敗の三冠馬ディープインパクトが出走してきた。
ゼンノロブロイはデザーモ騎手騎乗で2番人気だった。
中団からレースを進めたが、直線伸びあぐね、8着と初めて掲示板を外してしまった。
勝ったのはルメール騎手騎乗のハーツクライで早め先頭からディープインパクトの追撃を1/2馬身差振り切っての優勝だった。
基本的には善戦マンの印象が強いゼンノロブロイだったが、4歳秋の古馬G1・3連勝はシンボリクリスエスですら成し得なかった偉業であり、その強さは本物であった。
■引退後
引退後は2006年から社台スタリオンステーションで種牡馬入り。
初年度は種付け料400万円で新種牡馬トップとなる216頭への種付けを行う人気ぶりだったが、産駒は120頭ほどと受胎率が低く、2年目、3年目は158頭へと種付け数を落とした。
なお初年度の2006年と翌2007年にはシャトル種牡馬としてオセアニアでも供用された。
初年度産駒は2009年にデビュー。
2歳シーズンでこそ重賞勝ちはなかったものの、3歳1月のフェアリーSをコスモネモシンが勝ち産駒の重賞初制覇を遂げる。
その後もサンテミリオンがフローラSを勝ち、オークスではアパパネと同着優勝を果たし、初G1制覇。
なお、この年のオークスには6頭もの産駒を出走させ、3着にアグネスワルツ、4着にアニメイトバイオが入り、1,3,4着の大暴れだった。
その他にもペルーサが青葉賞勝ち、アニメイトバイオがローズS勝ち、またマグニフィカがダート交流G1・ジャパンダートダービーを制する大活躍を見せた。
2009年には116頭とやや種付け頭数を落としたが、初年度産駒の活躍もあり、2010年度には254頭の繁殖を集める人気となっている。
2011.10.24